【社会】なぜ五輪や万博の予算はどんどん膨れ上がるのか…政治家が国民に決して知らせない”不都合な真実”

【社会】なぜ五輪や万博の予算はどんどん膨れ上がるのか…政治家が国民に決して知らせない”不都合な真実”

五輪や万博は国際的なイベントであり、開催する側が他国との競争や国際的なイメージ向上を図るために多額の予算が必要とされるのかもしれません。しかし、その予算がどのように使われるのか、透明性を持たせることが重要です。

オリンピックや万博では、なぜ開催予算が雪だるま式に膨らむのか。オックスフォード大学学科長のベント・フリウビヤ氏は「市民に公表される予算はいわゆる『頭金』に過ぎない。本当のコストは、計画段階ではなく実行段階で明らかになるからだ」という――。

※本稿は、ベント・フリウビヤ『BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

■「ビジネスではスピードが肝心」の落とし穴

ときに「行動あるのみ」という言い回しで表される、行動へのバイアス(実行重視の姿勢)は、ビジネス界では一般的であり、必要とされている。

時間の浪費はたしかに危険を招く。「ビジネスではスピードが肝心だ」と、ジェフ・ベゾスアマゾンの有名なリーダーシップ原則に書いている。「多くの意思決定や行動はやり直すことができるから、大がかりな検討を必要としない。計算した上でリスクを取ることには価値がある」

ただし、ここで注意したいのは、ベゾスが実行重視の対象を、やり直すことができる「可逆的」な意思決定に周到に限定していることだ。この種の意思決定で時間を無駄にしすぎるな、とベゾスは諭す。何かを試してみよう。うまくいかなかったら、やり直したり、別の何かを試したりすればいい、と。

これはまったくもって筋の通った考え方だが、大型プロジェクトの決定の大半には適さない。なぜなら、やり直すことが非常に難しいか、コストがかかりすぎるため、実質的に「不可逆的」だからだ。ペンタゴンを建てたあとで、景色が台無しになることがわかったからといって、取り壊して別の場所に建て直すわけにはいかない。

■経営幹部の思考回路は「実行>計画」になりがち

こうした実行重視の姿勢が組織文化に組み込まれると、可逆性のただし書きは忘れ去られてしまう。残るのは、一見どんな状況にも当てはまりそうな、「行動あるのみ!」のスローガンだけだ。

「経営幹部向け教育クラスの受講生を調査したところ、幹部はタスクを計画しているときよりも、実行しているときのほうが生産的だと感じていることがわかった」と、経営学教授のフランチェスカジーノブラッドリー・スターツは書いている。「とくに、時間に追われているときは、計画立案に労力を費やすのは無駄だと感じる傾向にある」

これをより一般的な行動に置き換えると、大型プロジェクトに関する決定を下す企業幹部などの権力者は、計画立案にじっくり時間をかけるよりも、手持ちの情報だけを見て瞬間的に判断を下したがる、ということになる。これはジェフ・ベゾスの提唱する実行重視ではなく、「計画軽視」の姿勢である。

こういうふうに説明されれば、これがまずい考えだということはすぐわかる。だが忘れないでほしいのだが、この考えを生んでいるのは、プロジェクトをとにかく早く始動させ、作業が始まるのを見届け、プロジェクトが前進している具体的な証拠を得たいという欲求である。

■当初の予算が「頭金」化する

この欲求自体はけっして悪いことではないし、プロジェクトの関係者全員がこの欲求を持たなくてはならない。問題なのは、計画立案をないがしろにし、まるでプロジェクトに本格的に着手する前に片づけるべき、厄介事のように扱うことなのだ。

計画立案は、プロジェクトのれっきとした一部である。計画立案の前進は、プロジェクトの前進、それも最もコスト効率の高い前進だ。

この事実を無視すれば、危険が待っている。その理由を説明しよう。

建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞したフランス建築家ジャン・ヌーヴェルは、芸術的建築作品のコスト見積もりに潜む意図について赤裸々に語った。

フランスでは何かを推進するための政治的手段として、理論上の予算が計上されることが多い。

その金額は、4回に3回の割合で、実際のどんなコストとも一致しない。たんに政治的に許容できる金額というだけだ。本当のコストはあとになってから、政治家の都合のよいタイミングと場所で発表される」

■実際のコストを市民が知ったら、永久に承認されない

つまり、見積もりはそもそも正確ではなく、プロジェクトを売り込むための数字でしかないというのだ。はっきり言えば「ウソ」、体よく言えば「方便」ということになる。

アメリカの政治家も、こうした隠れた意図をおおっぴらに語っている。サンフランシスコ市長やカリフォルニア州議会議長を歴任したウィリーブラウンは、2013年にサンフランシスコクロニクル紙に寄稿した、ベイエリアの輸送インフラに関するコラムにこう書いた。

サンフランシスコ・トランスベイ・ターミナルの工費が予算を3億ドル超過したと聞いても、驚くことは何もない。当初の見積もりが実際のコストを下回ることなど、はなからわかっていた。セントラル・サブウェイやベイブリッジ等の巨大建設プロジェクトで、実コストが算出されなかったのも同じことだ。だから放っておけ。

都市計画の世界では、当初予算はただの頭金に過ぎない。実際のコストを最初から市民に知らせでもしたら、何も永久に承認されないだろう(太字は著者)」

ご想像の通り、ブラウンはこれを書いたとき、すでに政界から引退していた。

■実現可能性調査は、事業を正当化するものにすぎない

ある上級輸送コンサルタントから内々に聞いた話だが、昨今盛んに行われている「フィージビリティ・スタディ(実現可能性調査)」は、公正な分析というよりは、プロジェクトの実行会社に都合のよい、隠れみののような役割を果たしているという。

「実行会社はほぼ例外なく、ただプロジェクトを正当化したい一心で、それを裏づけるような輸送量予測を出そうとしていたね」

彼らの望みはただ1つ、プロジェクトを始動させることだった。「なぜ見積もりはつねに低めなのかと、彼らに聞いたことがある。ただこう言っていたよ、『本当の見積もりを出したら、何も建てられやしない』と」

この言葉がウィリーブラウンの主張に酷似しているのは、偶然ではない。

戦略的虚偽表明については、私もいろいろな分野の経営幹部から話を聞いている。ただし、主に内輪の席でだ。

■オリンピックの見積もりがあまりに杜撰な理由

私がアメリカの主要な建築デザイン雑誌に、戦略的虚偽表明に関する論説を書かせてほしいと売り込んだときも、編集長に断られた。読者にとっては、プロジェクトに関してウソをつくのは当たり前すぎてもはや常識だから、目新しさに欠ける、というのだ。

「あなたの説明に当てはまる大型プロジェクトの例は、この国にあふれている」と彼は書いてきた。だがそれは内輪の話だ。こうした内情が公に語られることはめったにない。

性急で表面的な計画は、見積もりを低く抑えるのに都合がよいどころか、とても役に立つ。問題や課題が見過ごされれば、見積もりが増えることもないからだ。

そしてその見積もりに絶大な自信を表明すれば、計画をさらにあと押しできる。モントリオール市長ジャン・ドラポーは、1976年モントリオールオリンピックについて、コストが予算をオーバーすることはないと言い切った。「モントリオールオリンピックが赤字になるなど、男が妊娠するのと同じくらいあり得ないことだ」

そんな風に断言すれば、いずれ恥をかくのは目に見えている。だがそれはずっと先のこと、ほしいものを手に入れたあとのことだ。引退したあとかもしれない。

■「体面」を保つためにも、計画を進めるしかなくなる

無事契約締結と相成れば、次のステップは「地面にシャベルを入れる」ことだ。それも早急に。「とにかく始動させることが肝心だ」とウィリーブラウンは書いている。「地面を掘り始め、巨大な穴を開ける。そうすれば、穴を埋めるカネを用立てるほかに方法はなくなる」

こうした物語は、ハリウッドにも昔からある。「私の取った戦術は、新手の映画を制作する監督の常套手段だった」と、映画監督のエリア・カザンが、1940年代末にコロンビア・ピクチャーズに映画の企画を売り込んだ方法について──引退後に──書いている。

「作業を開始し、俳優と契約を結び、セットをつくり、小道具と衣装を集め、ネガを焼いて、スタジオを深入りさせる。いったん大金をつぎ込んでしまえば、ハリー〔・コーン、コロンビア・ピクチャーズ社長〕はわめき散らすしかなくなる。撮影を何週間も進めたあとで制作を中止すれば、損失を回収できなくなるからだ。それはカネだけじゃない、『体面』の問題でもある。とにもかくにも撮影を始めてしまうことが、私のねらいだった」

■スタジオを倒産に追い込んだ映画『天国の門』の悲劇

この戦術は、伝説的映画スタジオのユナイテッドアーティスツ(UA)でも取られた。1970年代末、新進気鋭のマイケル・チミノ監督は、ワイオミング州を舞台に『アラビアローレンス』風の叙事詩的西部劇、『天国の門』を撮りたいと考えた。

コストの見積もりは750万ドル(2021年の約3000万ドルに相当)。当時の映画制作費としては高額だが、大作映画としてはあり得ない金額ではなかった。UAはチミノから公開スケジュールを守るという言質を取り、契約を結んだ。

制作が始まった。最初の6日間で、すでに5日の遅れが出た。チミノは1万8000メートルのフィルムを回し、90万ドルかけて現像したが、「そのうち使い物になったのは1分半ほど」だったと、映画を統括したUAの幹部スティーヴン・バックは書いている。

この本、『ファイナルカット「天国の門」製作の夢と悲惨』は、ハリウッドの映画制作に関する、最も詳細かつ最も衝撃的な考察である。UAはこの時点で警戒すべきだった。撮影開始後たった1週間でここまでの遅れが出たことから、当初の計画がまったく当てにならないことはわかったはずだ。

■巨額の「五輪債務」を負担したのは市民だった

しかし、事態は悪化の一途をたどった。撮影は長引き、コストはどんどんかさんでいった。スタジオはとうとう制作の縮小を命じたが、チミノは突っぱねた。私は私のやり方でやる、とチミノは言い、経営陣は黙って金を出すしかなかった。チミノは契約を解除されれば、映画をよそのスタジオへ持って行くこともできたからだ。

経営陣は引き下がった。彼らは憤慨し、大失敗を恐れたが、手を引くにはもう深入りしすぎていた。チミノもエリア・カザンと同様、経営陣を後に引けない状況に追い込んだのだ。

今日『天国の門』はハリウッドで有名だが、よい意味での有名ではない。制作費は最終的に当初予算の5倍に膨張し、公開は予定より1年も遅れた。そしてあまりの酷評ぶりに、チミノは早々に上映を打ち切り、映画を再編集して半年後に再公開した。この映画も大コケし、UAは倒産に追い込まれた。

この失敗でチミノの名声は地に墜ちたが、暴走したプロジェクトの代償を払うのは、失敗を招いた張本人でない場合が多い。モントリオールオリンピックのコストが予算を720%もオーバーしたとき、風刺漫画家は嬉々として妊娠したドラポー市長の絵を描いた。

だが、それがどうしたというのか? ドラポーはオリンピックの誘致に成功した。モントリオール市は巨額の債務を完済するのに30年以上かかったが、それを負担したのはモントリオール市とケベック州の納税者だった。ドラポーは落選さえせず、オリンピックの10年後の1986年に引退した。

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ベント・フリウビヤ 経済地理学者
経済地理学者。オックスフォード大学第一BT教授・学科長、コペンハーゲンIT大学ヴィルム・カン・ラスムセン教授・学科長。「メガプロジェクトにおける世界の第一人者」(KPMGによる)であり、同分野において最も引用されている研究者である。『メガプロジェクトとリスク』などの著書、『オックスフォード・メガプロジェクトマネジメント・ハンドブック』などの編著多数(いずれも未邦訳)。これまで100件以上のメガプロジェクトのコンサルティングを行い、各国政府やフォーチュン500企業のアドバイザーを務めている。数々の賞や栄誉を受け、デンマーク女王からナイトの称号を授けられた。

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※写真はイメージです – 写真=iStock.com/HJBC

(出典 news.nicovideo.jp)

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