【経済】かつては日立、富士通、東芝が世界を席巻していたのに…日本の半導体メーカーがTSMCに抜き去られた根本原因
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■「中国人のもう一つの道を切り開いてやる」
モリス・チャンは、世界初で世界最大の半導体製造ファンドリーであるTSMCの創業者であり、元会長兼CEOとして、台湾の半導体産業の創始者として知られています。
第二次世界大戦で中国が戦場となり、戦後に一家は香港に引っ越しました。18歳の時、一念発起して渡米し、ハーバード大学に入学、2年生でMITに編入し、機械工学を専攻し学士号、修士号を取得し、1964年にはスタンフォード大学で博士号を取得します。
しかしモリス・チャンは就職の際、一流大学を卒業しても、アメリカでは中国人には職がないことを知り愕然としました。その時の心境を、モリス・チャンは、次のように自伝に書き残しています。
「中国人のアメリカでの道が教師か研究者しかないなら、私が先鞭をつけ、もう一つの道を切り開いてやろうではないか」(※)
※湯之上隆.(2013).「台湾TSMCを創業したモリス・チャンの驚きの物語」.朝日新聞WEBRONZA.2023年11月5日閲覧
■下請けでも大手企業と対等の立場に立てる
モリス・チャンはテキサス・インスツルメンツ(TI)で働き、IBMの下請けとして製造をしていましたが、試行錯誤を繰り返し、見事に良品の製造に成功します。
IBMの幹部が訪ねてきて「大変驚いています。一体どうやったのですか?」と質問したところ、モリス・チャンが「朝から晩までトランジスタのことを考えて試行錯誤を繰り返しました。だからできたのです」と答えると、IBMの幹部は「我々大手では、こんなリスクの高い製品について製造ラインを組むことはできません。助かりました」と言ったということです。
このとき以降、IBMの態度が一変し、「下請けでもその技術を極めれば大手企業と対等の立場に立てる」ことに気づいたことが、その後ファンドリーを立ち上げる基本思想になったと言われています。
■垂直統合型ではなく、製造だけに特化
TIでは25年働き、世界の半導体事業を統括するポストまで昇進しましたが、1985年、54歳のときに台湾政府から世界一の半導体企業を作ってほしいと依頼されます。
モリス・チャンは快諾し、台湾工業技術研究院の院長に就任したものの、何もないに等しい状態で、一体どうすればいいのか悩みました。
当時は、日立、富士通、東芝などの日本企業が半導体業界で世界を席巻していた時代で、台湾には町工場しかなかったからです。
台湾当局は、日本のような垂直統合型の半導体メーカーの立ち上げを期待していたようですが、台湾には設計技術がないことから、モリス・チャンの考えは、製造だけを請け負うファンドリーに収束して行きました。背景には、TI時代にIBM用の製造を請け負って成功した経験がありました。
■日本企業は「成功するはずない」と見下していた
しかし、当時は半導体の製造だけに特化するファンドリーという概念がなく、別の会社の半導体の製造を請け負うだけのビジネスなど、世界中の誰も考えていないような状態でした。半導体工場の建設には多額の資金が必要ですが、いろいろな会社に出資を頼んでも、興味を示したところすらありませんでした。
TSMCの創業後、数年間はほとんど売り上げがなかったそうです。半導体技術者でジャーナリストの湯之上隆氏も次のように当時のTSMCの印象について書いています。
「TSMCの存在を知ったのは、1995年にDRAM工場に異動した頃だったと思う。そして、台湾の技術を下の下に見て、そんな技術で製造請負のファンドリーが成功するはずがないと思った。これは私個人だけでなく、日立全体、日本半導体全体がそのように見下していた」
しかし実際は、シリコンバレーではインテルのセカンドソース品メーカーから始まったAMDのように、半導体設計だけに特化し製造は外部に委託する「ファブレス」が誕生し、製造を担当するファンドリーのTSMCとファブレスが分業するようになりつつありました。
製造設備やプロセス技術に投資する必要がなくなり、身軽になって創業のハードルが一気に下がりました。その結果、シリコンバレーで半導体スタートアップが次々に誕生し、台湾TSMCを利用した正のスパイラルが始まります。
モリス・チャンは「半導体業界を根本から変えてしまった」のです。
■TSMCのおかげでスタートアップが続々と誕生
現在、世界でファブレスの半導体メーカーは1000社を超えています。設計だけに注力し、巨額の設備投資が必要な製造はTSMCのような専門業者に任すことができるからです。もしモリス・チャンがファンドリーを始めなかったら、このような数多くの半導体開発企業の誕生はなかったでしょう。
その中の一つがエヌビディア(NVIDIA)です。
GPU(編集部注:Graphics Processing Unitの略称で、映像の処理を専門に行うプロセッサを指す)の設計に特化し企画設計と販売を行い、製造はファンドリーに外部委託するファブレスメーカーです。シリコンバレーで働いていたジェンスン・フアン(社長兼CEO)が設立しました。
ジェンスン・フアンは1963年生まれの台湾系アメリカ人で、台湾の台南市に生まれ、アメリカに移住してオレゴン州立大学で電気工学の学士号、スタンフォード大学で電気工学の修士号を取得します。
大学卒業後はAMDのマイクロプロセッサの設計者などを経て、1993年30歳の誕生日にエヌビディアを設立し、現在に至るまでCEO兼社長を務めています。
■エヌビディアの時価総額は320兆円に
ちなみにAMDのリサ・スーは、エヌビディアのジェンスン・フアンCEOと親戚で、台湾人の活躍には恐るべきものがあります。
エヌビディアはグラフィックスを得意とし、2001年にはマイクロソフトと共同開発したXboxを発売、2004年には、ソニーとPS3のGPUを共同開発したことで実力をつけ、2017年にも任天堂とニンテンドースイッチを共同開発しています。
顧客の高度なニーズに応える形で実際の開発に従事し、その過程で実力を蓄えていったということがポイントです。その後はAI向けに注力し、現在もAI向けのプロセッサを発表し続けています。
現時点(2024年3月7日終値)でのエヌビディアの時価総額は実に2.22兆ドルに達しています(1ドル150円として320兆円)。
■フラッシュメモリを発明した日本人
一握りの天才たちが半導体産業を作り変えている中で、日本人はどうしていたのでしょうか?
実は日本にも天才は存在しました。インテルの世界最初のプロセッサは日本人の設計によるものでしたが、フラッシュメモリの発明も舛岡富士雄という日本人でした。
舛岡氏は、東芝に入社後、高性能なメモリを開発したものの全く売れなかったため、営業職を志願し、アメリカのコンピューター会社を回りました。結局全然売ることができませんでしたが、この時に何度も営業先に言われた「性能は最低限でいい。もっと安い製品はないのか」という言葉から、性能の向上ばかり考えず、需要に見合った機能を持つ製品を低コストで作るべきだと悟ります。
性能を落としてコストを4分の1以下にする方法を思いつき、フラッシュメモリを発明しました。
その後、東芝は舛岡を地位は高いが研究費も部下も付かない技監に昇進させようとし、研究を続けたかった舛岡は退社しました。直後に舛岡の開発したフラッシュメモリは爆発的に売れ出し、一時は東芝の利益の大部分を稼ぎ出す主力事業となりました。
■重要な技術革新の報奨金はわずか数万円
フラッシュメモリは、半導体分野における最も重要な技術革新の一つです。その発明者である舛岡は、巨万の富を得ているはずだと思うかもしれません。しかし、日本ではその常識は通用しません。
世界が大組織の時代から個人の時代へ移行したのに、日本ではまだまだ大組織が主人公で、個人はそこに埋もれる存在でした。フラッシュメモリを発明した舛岡に対して、雇用主である東芝が支払った報奨金はわずか数万円でした。
その後、舛岡は自身が発明したフラッシュメモリの特許で、東芝が得た少なくとも200億円の利益のうち、発明者の貢献度に応じて受け取るべき相当の対価を40億円とし、その一部10億円の支払いを求めて2004年3月2日に東芝を相手取り、東京地裁に訴えを起こします。2006年に東芝との和解が成立、東芝側は舛岡に対し「8700万円」を支払うこととなりました。
1億円近い金額ではありますが、もし彼がシリコンバレーでフラッシュメモリの会社を仲間と設立し、首尾よくインテルに会社を売却していたらどうなっていたでしょうか?
何百倍、何千倍も利益を得られたであろうことは疑う余地がありません。
■なぜか「インテルの発明」と説明した東芝
東芝が発明したフラッシュメモリは結局ライバルのインテルに市場シェアを奪われましたが、舛岡のフラッシュメモリの発明について、フォーブス誌が東芝にインタビューしたところ、非常に奇妙な返答が返ってきます。
「広報担当者は本誌に対し、フラッシュメモリを発明したのはインテルであると、繰り返し主張した。一方インテルは東芝がフラッシュメモリを発明したと主張しているのだ」
しかしニューヨークの米国電気電子学会(IEEE)は東芝在籍中のフラッシュメモリ発明の業績をたたえ、舛岡にモーリス・N・リーブマン賞を贈与しています。
フォーブス誌がその点を東芝に改めて問いただすと、フラッシュメモリを発明したのは東芝であることをようやく認めたそうです。せっかくの日本人の発明を、日本人がインテルの発明とするなど、考えられないことです。
■発明者が正当な利益を得られないという現実
日本で業績を正しく評価されないことに不満に感じている研究者は、舛岡氏だけではありません。青色LEDを発明した中村修二は、2001年、勤務していた日亜化学工業を相手に訴訟を起こし、中村氏は現在、アメリカで暮らしています。おそらく数多くの表に出ていない例がほかにもあるはずです。
舛岡氏や中村氏の例のように、発明者が正当な利益を得られないのは、必ずしも企業側の責任だけとは言えません。初めに何も権利を主張せずに、後になって利益の一部を還元してもらうのは、かなり困難だからです。発明の正当な対価を得ようとするなら、社外に目を向け、市場の力を借りることも一つの考え方として大事になります。
たとえば、発明者自身が株式の一部を保有する形で、所属する会社と共同で会社を設立するのです。製品化がうまくいき、売れた場合は利益の一部を配当で受け取れますし、もし上場や売却ができれば、巨額のキャピタルゲインが可能になります。
オープンイノベーションの時代には、発明者は、会社だけに頼らない方法も、自分を守るための基礎知識として学ぶ必要があるのです。
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京都大学イノベーション・マネジメント・サイエンス特定教授
東京大学法学部卒、シカゴ大学政治学博士前期課程修了(MA)、ペンシルバニア大学ウォートンスクールMBA。マッキンゼーにて自動車、ハイテク、通信等のコンサルティングに従事した後、コーポレートファイナンス・ターンアラウンド業務等を経て、2008年より京都大学イノベーション・マネジメント・サイエンス寄附研究部門教授。現在は京都大学でテクノロジー商業化、起業家育成方法、エコシステムについての研究と、全学アントレプレナーシップ教育プログラムの開発・実施に従事している。日本経済新聞アジアアワードアドバイザリーボードメンバー、関西における起業家教育コンソーシアム協議会の議長も務める。
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