【日航機墜落事故から39年】元日本航空客室乗務員 「墜落は事故ではなく事件だ」 「垂直尾翼に当たったのは自衛隊のミサイルだ」
【日航機墜落事故から39年】元日本航空客室乗務員 「墜落は事故ではなく事件だ」 「垂直尾翼に当たったのは自衛隊のミサイルだ」
事故調査委員会はボーイング社の修理ミスによる後部圧力隔壁(飛行機の後部位にある、客室の空気を漏らさないための蓋構造物)の破壊と事故原因を結論づけたが、これに長年、異を唱え続けるのが、元日本航空客室乗務員の青山透子氏だ。「墜落は事故ではなく事件」と言い切る彼女を直撃した。
──青山さんは日本航空客室乗務員を経て、ノンフィクション作家として日航機123便墜落事故に関する著書を7冊も出されています。でも、青山さんの名前をネットで検索すると、「実在しない」との関連ワードが出てきて。顔写真もないですし……。
青山透子(以下、同) いますよ(笑)。弁護士会や大学で何度も講演会を行っています。
ネットでは知らない人から無責任にいろいろといわれてますでしょ。ちなみに青山透子はペンネームです。故・黒澤丈夫さん(墜落現場の上野村の村長)に名付けてもらいました。
──123便の墜落事故が起きた当時は、なにをしていましたか?
わたしは日本航空(以下JAL)のキャビンアテンダント(客室乗務員)で、北品川のスカイハウスという女子寮にいました。8月12日の午後7時26分頃123便が消えたというニュース速報が流れ、寮の電話が一斉に鳴り出しました。各部屋に黒電話が1台ずつ引いてあったので、ほんとにスゴい音で。家族や親戚が心配になって電話をくれたんです。
生存者(わずか4名)のひとり・落合由美さんの部屋がわたしと同じフロアでした。彼女の部屋から、けたたましく電話の音がずっと鳴り響いていたのを覚えています。翌日、新聞に先輩たちの顔写真と氏名が載っていて、誰が亡くなったか知りました。大変お世話になった先輩たちだったので、体中が凍りつきました。
それから二十数年経って、123便の墜落に思いをはせる編集者を紹介され、先輩たちとの思い出話が中心のエッセイを書くことになったんです。一旦、書き終えると、本としてのボリュームが全然足りないので「もっと事故について調べてみてはどうか」と編集者に言われ、情報を集めることにしました。
──どんなことから調べ始めたのですか?
なにせ素人ですから、なにからはじめていいのかわからない。そこで図書館に行って、新聞の逆読みをしました。何紙も比較しながら日付の後ろの記事から読んだのです。
そうすると、記事からいろんなことが浮かび上がってきました。例えば、ボイスレコーダーやフライトレコーダーの解明が済んでいないのに、「事故原因は後部圧力隔壁破壊(飛行機の後部位にある、客室の空気を漏らさないための蓋構造物)」という報道があったんです。
操縦室でどんな会話がされたか、飛行機がどんな動きで飛行したか、そういうことを調べていないのに、判断を下していたわけです。そこからなにか隠蔽しているのではないかと思うようになりました。実は私もそれまでの二十数年間、事故原因は圧力隔壁と思い込んでいました。
──青山さんは圧力隔壁の破壊ではなく、垂直尾翼(後部に設置され飛行機の左右のバランスを保つための縦方向の翼)になにかが当たったのが事故の原因と訴えていますが、その根拠はなんでしょうか?
2013年に運輸省の航空事故調査委員会が作成した「事故調査報告書別冊」がネットにアップされ、飛行中の123便の垂直尾翼に、突如外部から11トンの外力が加わったとはっきりと書いてあったんです。決定的証拠です。圧力隔壁の破壊ではなく、最初に垂直尾翼が破壊されて操縦不能に陥ったのです。
──なにが当たったと考えられるのでしょうか?
当時、防衛庁は国産ミサイルの開発に力を入れていました。「自衛隊がオレンジ色に塗られた模擬ミサイルで試射実験を繰り返し行なっている」と事故前日の新聞にも出ています。実際に123便の垂直尾翼の一部を相模湾から回収した護衛艦「まつゆき」も事故当日に出航しています。記事にあるように模擬ミサイルの試射を行なっていてもおかしくはありません。
実は1968年にエールフランス航空1611便が、エーゲ海で演習中のフランス海軍艦艇から発射されたミサイルで墜落させられた事件が起きています。
しかしトイレの火災を事故原因とし、本当のことは長らく隠蔽されてきました。状況が似ていませんか?