『押阪忍』89歳にて逝去、民放出身のフリーアナ1号
『押阪忍』89歳にて逝去、民放出身のフリーアナ1号
押阪忍さん死去、89歳 民放出身のフリーアナウンサー第1号
(出典:サンケイスポーツ) |
押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28日 – 2024年6月29日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント、芸能プロモーター。元日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)アナウンサー。 岡山県津山市出身。「押阪」姓は飛鳥時代の皇族・押坂彦人大兄皇子がルーツという。岡山県立津山高…
12キロバイト (1,241 語) – 2024年7月9日 (火) 02:53
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1 征夷大将軍 ★ :2024/07/08(月) 18:56:31.89 ID:C8fpus7l9.net
[2024年7月8日17時18分]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202407080000857.html
民放出身のフリーアナウンサー第1号として知られる押阪忍(おしざか・しのぶ)さんが先月29日、死去した。89歳だった。
自身が創業した芸能事務所エス・オー・プロモーションの公式サイトで8日、「DJ OSSHY」としても活動する長男の押阪雅彦社長の名義で伝えられた。かねて病気療養中だった。
押阪さんは1958年に日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)アナウンス部へ1期生として入社し、63年にテレビタレント、アナウンサーの栗原アヤ子と結婚し、フリー転身後も共働きアナウンサーとして活動する。64年の東京オリンピック(五輪)では主に、日本が「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーの実況を担当した。
65年に退社し、民放出身のフリーアナウンサー第1号となった。69年からは約10年半、人気クイズ番組「ベルトクイズQ&Q」(TBS)司会を務めた。また東芝が提供していた時代のTBS系「日曜劇場」のCMを長年、担当したことでも知られた。
71年にエス・オー・プロモーションを創業。アナウンサー業と並行して、後進の育成にも力を注いだ。17年にはNHK連続テレビ小説「ひよっこ」に昭和のクイズ番組の司会者として出演し話題となった。
90年代に、妻の栗原が症例の少ない「肺スエヒロタケ感染症」に罹患(りかん)し、サポートしたことでも知られる。押阪さん自身も09年には大腸がんで入院し切除手術を受け、17年には腹部大動脈瘤(りゅう)の手術を受けた。それでも80歳を超えてなおラジオ番組を持つなど、生涯アナウンサーを貫いた。
▽発表全文
平素より大変お世話になっております。
弊社創業者・取締役会長、所属アナウンサー押阪忍がかねてより病気療養中のところ令和6年6月29日享年89歳にて逝去いたしました。
ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。
故人の遺志により、葬儀・告別式は近親者のみで執り行わせていただきました。
皆様にはお知らせが遅れましたこと、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。
後日、皆様とのご会葬の機会を設けさせていただければと思います。
今後とも変わらぬご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。
令和6年7月8日
株式会社エス・オー・プロモーション
代表取締役社長 押阪雅彦