【国際】ロシア軍の精鋭空挺旅団が壊滅か ウクライナ北東部ボウチャンシク 通信員「彼らは戦うことができない。『500』があまりに多い」
【国際】ロシア軍の精鋭空挺旅団が壊滅か ウクライナ北東部ボウチャンシク 通信員「彼らは戦うことができない。『500』があまりに多い」
ロシア軍が5月9日の対独戦勝記念日に合わせてウクライナ北東部で始めた攻勢は、ウクライナ側の国境地帯を広く深く占領して、
国境から40kmのハルキウ市に重砲を近づけることが狙いだったのかもしれない。
あるいはもっと野心的に、ハルキウ市自体に進軍することまで司令部は目論んでいたのかもしれない。
だが、どちらも実現しなかった。
攻勢開始から2週間のうちに、ロシア軍のおよそ3万人規模の攻撃部隊は国境から数kmの小さな都市ボウチャンシクで行き詰まった。
そしてこのほど、ウクライナ軍の機械化旅団や海兵旅団、空中強襲旅団など数個旅団の一部からなる防御部隊は、ロシア軍の精鋭空挺旅団を撃破したもようだ。
ウクライナの有名な通信員、ハンドルネーム「ニコラエフスキー・バニョク」(編集注:テレグラムではロシア語で投稿している)の報告によると、
ロシア空挺軍の第83独立親衛空中襲撃旅団は3週間にわたる展開で大きな損害を出したあと、ボウチャンシクから撤退した。
バニョクは「第83空中襲撃旅団は戦闘能力を回復するため、全体が緊急に後方に引き下がった」と書き、
「人員の損耗が多すぎて、彼らは戦うことができない。『500』があまりに多い」と続けている。
「500」というのは、ロシア軍の用語で戦闘を拒む兵士を指す番号だ。
事実だと確認されれば、7個の連隊や旅団で構成されるロシア軍の新編北部集団軍にとって痛ましい損失になる。
ボウチャンシクでのロシア軍の損耗は、さらにかさむ可能性もある。1個大隊(数百人規模)の生き残った兵士らが、
2週間にわたり、市中心部にある骨材工場で身動きがとれなくなっているからだ。
孤立したこの部隊はもう長くはもたないかもしれない。
ウクライナ空軍はこの工場を精密滑空爆弾で爆撃し、徐々に瓦礫に変えている。
第83空中襲撃旅団は、2022年2月の戦争拡大前に4万人規模の兵力だったロシア空挺軍の十数個旅団のひとつである精鋭旅団だ(少なくとも以前はそうだった)。
数年前の2019年には、軽量の装甲車両をパラシュートで投下して戦闘に入る演習も行っていた。
■この旅団は北東部攻勢のテコ入れのため東部から転戦していた
ウクライナでは、第83旅団はパラシュートを捨て、初めから地上でBMD歩兵戦闘車やBTR装甲兵員輸送車などに乗る機械化旅団として戦ってきた。
2023年には南部でウクライナ軍の攻撃に応戦し、今年春には数百km移動して東部チャシウヤールの攻略戦に加わった。
戦勝記念日攻勢がボウチャンシクで阻まれて失速すると、ロシア軍の司令部は第83旅団に対し、北へ転戦して北部集団軍を増援するよう命じた。
第83旅団の部隊は6月12日までにボウチャンシクの前線に現れた。
ウクライナ軍のドローン操縦士、コールサイン「Kriegsforscher(クリークスフォルシャー)」は、北部集団軍は16日ごろ「第83旅団の空挺兵17人を用いた」と振り返っている。
Kriegsforscherによると、ウクライナ軍の精鋭部隊である第82独立空中強襲旅団が迫撃砲でこれらの空挺兵を攻撃し、4人を死亡させ、10人を負傷させた。
第83旅団はボウチャンシクに到着するや、早々に大きな損害を出したわけだが、信じがたいことに、ロシア側はその旅団に一段と攻撃を強化させた。
「彼らはまず、第83旅団の突撃大隊を投入した。この大隊が損害を被ると、旅団の残りをすべて投入した」とKriegsforscherは説明している。
第83旅団の兵士たちにとって状況は残酷なものだった。
オレグ・ベスニンというロシア兵は12日ごろ、自身の携帯電話で撮影した動画で「これ以上は耐えられない」と訴えている。
「3日間、食べ物も水もない。支援もない。この先どうすればいいのかわからない」と喘ぎながら状況を説明している。
後ろには、負傷した仲間の兵士2人が横たわっていたようだ。
バニョクの報告どおりなら、2週間後、定員2000人の第83旅団は、戦うのを拒んだとされる兵士を含め、あまりに多くの人的損耗を出し、
もはや大規模な戦闘を行うことが不可能になった。
第83旅団は戦場から退却するしかなかった。
バニョクは、第83旅団とは「バイバイ」だと絵文字で表現し、代わりのロシア軍部隊にも同様の運命が待っているだろうと予言している。
ロシア軍の歩兵はボウチャンシクで消耗の罠にはまり、急激に犠牲を膨らませている。