【社会】自衛隊に頼むと1億円の公共工事が半額に? 最強の土木作業組織「施設部隊」の“知られざる活動”《有名な観光道路も》

【社会】自衛隊に頼むと1億円の公共工事が半額に? 最強の土木作業組織「施設部隊」の“知られざる活動”《有名な観光道路も》

自衛隊の施設部隊は本当にすごいですね。普段は防衛任務に従事しているイメージが強かったので、公共工事や観光道路の整備まで行っているなんて驚きです。

 自衛隊の任務と言ったら、何を思い浮かべるだろうか。国防、災害派遣、国際貢献あたりが多いだろう。だが、国防は平時の抑止を除けば有事の活動になるし、災害派遣は災害の発生が前提となる。自衛隊はそれらに対する備えではあるが、実際に戦争や被災で自衛隊の厄介になる事態は避けたいものだ。

 しかしかつては、日本中で歓迎された自衛隊の活動があった。高度成長期を中心に、日本各地で行われ、多くの足跡を今に残している。しかし現在では行われることも稀で、知る人も少ない。本稿ではその知られざる自衛隊の活動、「部外工事」について紹介したい。

◆ ◆ ◆

 防衛大臣は、自衛隊の訓練の目的に適合する場合には、国、地方公共団体その他政令で定めるものの土木工事、通信工事その他政令で定める事業の施行の委託を受け、及びこれを実施することができる。

 これは、自衛隊の所掌事務の範囲と権限を定めた自衛隊法の第100条で、自衛隊による部外工事についての記述だ。簡単にいえば、公共工事を自衛隊が実施することを定めたもので、これらの工事は『部外土木工事(部外工事)』と呼ばれている。

 同様の条文は、自衛隊の前身である保安隊の根拠法である保安庁法にも定められており、部外工事は保安隊時代の1952年から行われていた。

ウクライナ戦争でも地雷の設置や除去に活躍

 この部外工事の担い手だったのが、施設科部隊(旧軍で言う工兵)だ。陸上自衛隊には様々な職種(旧軍で言う兵科)が存在するが、多くの人がイメージするのは、銃火器で武装した普通科(旧軍で言う歩兵)、戦車を扱う機甲科といった、直接戦闘に携わる職種だろう。施設科部隊はそういった戦闘部隊を、各種施設器材(建設機械など)を用いて支援する職種だ。

 現在も継続中のウクライナ戦争では、2023年夏から開始されたウクライナによる反攻作戦が挫かれた大きな要因に、ロシアが構築した長大な防御陣地や地雷原が挙げられる。こうした陣地構築や地雷原の敷設も施設科の重要な任務で、逆に地雷を除去するのも施設科の仕事だ。いかに戦争において重要な役割を持つかが分かるだろう。

 また、災害派遣で建設機械が役に立つのは言うまでもなく、東日本大震災の際は寸断された橋の代わりに、民間にはない架橋器材で短期間で橋を架けている。有事の際の頼もしい部隊だ。

 そんな施設科がかつて引っ張りだこだった平時の任務が「部外工事」だ。雑誌『建設者』の1964年12月号によると、この当時は自治体から自衛隊に部外工事の要請が殺到し、60%程度しか受け入れできなかったという。

 ここまで要請が殺到した最大の要因はコストだった。部外工事の場合、要請者である自治体が負担するのは資材費や燃料費、旅費、通信費といった経費だけで、人件費や器材に関わる費用は自衛隊側が負担していた。つまり、民間業者に頼むよりも格安に公共工事が行える。これに多くの自治体が飛びついた。

民間業者だと1億円かかるものが、4720万円でできる?

 部外工事の費用を挙げると、観光道路として知られる米沢―裏磐梯線(西吾妻スカイバレー)は、1956年に山形・福島両県からの依頼によって陸上自衛隊が建設に携わり、1961年の完成までに山形県側だけで延べ2万9300人の隊員が工事に参加した。総工事費は民間業者では1億円はかかったとみられているが、4720万円で済んだという。

  公共工事が半額で済むのだから、地元は歓迎ムードだ。当時の様子を伝える報道がある。

〈  米沢市にゆくと自衛隊はたいへんもてる。先月植木盛一尉指揮の建設作業隊百二十人が到着したら、米沢市役所前ではかつての出征軍人を思わせるような歓迎会が開かれた。ミス市役所の花束贈呈、市長の激励と感謝のことば。山奥の起工式には県知事が出席して最初のダイナマイトに点火した。工事がはじまったのちも、地元の婦人会員が毎月一・二回交代で宿舎を訪れ、慰問袋を届け、洗たくやつくろいものの世話をしている。「地元民のため骨身惜しまず働く隊員の気持が正しく理解されたのです」と防衛庁幹部は得意そうだ。「米沢がサービスするのは、愛されたがっている自衛隊の“弱み”をついたんです。市民はちゃんと計算していますよ」(ある米沢市民の話)という声もあるのだが……。

毎日新聞1961年7月5日

  この記事中、「愛されたがっている自衛隊」という話が出てくる。これは創隊間もない頃、自衛隊が掲げていた「愛される自衛隊」というスローガンを受けてのものだ。

  戦争の記憶が新しい国民の軍事への忌避感情や憲法問題に直面していた自衛隊は、全隊を挙げて国民からの信頼獲得に努めていた。その施策の1つとして、部外工事があったのだ。それに公共工事を進めたい自治体、まだ民間業者の機械化が進んでいなかったことといった要素が合致した。

  部外工事の受託件数がピークに達した1962年頃の陸上自衛隊の人員計画を見ると、部外工事が自衛隊でいかに重要な役割を持っていたかがわかる。前年の1961年度に陸上自衛隊員1500人の増員が国会で認められているが、この増員分のほとんどが施設部隊の増強に当てられている。

  当時、大幅な増強が行われたのは、今は消滅した「地区施設隊」という部隊だ。1957年に5個部隊が編成されたのを皮切りに、1962年までに25隊が編成され、施設大隊といった施設部隊が未配置の県にも配置されている。

  これによって、ほぼ全ての県に施設部隊が配置されることになったが、この地区施設隊は事実上、その地域の部外工事専門だった。それだけ部外工事の需要が大きかったといえるだろう。

民間業者とは微妙な対立関係も

  しかし、自衛隊が民間業者より安い費用で公共工事を受託するのは、民業圧迫になりかねない。実際、1960年には建設業の業界団体である全国建設業協会が、防衛庁に工事受託を抑制するよう申し入れをしている。この申し入れによって、自衛隊は地域の地方建設業協会長の同意を得なければ、部外工事の受託は行わないことになった。

  ところが、全国建設業協会が発行する『全建ジャーナル』1965年5月号によれば、この合意が守られておらず、空文化している地域も存在することが問題視されている。現実問題として地域が望んでいる工事を民間業者が反対するのも、住民感情を考えると難しく、民間業者が渋々部外工事を認める例も少なくなかったようだ。

  逆に施設部隊側が民間業者に苦しめられる事態もあった。日本各地で開発が行われていた時代、建設技術や建設機械に習熟した人材は引く手あまただった。施設部隊の教育を行う施設学校を出て現場経験を積んだ隊員を、民間業者が引き抜いていくことも多かったという。

  防衛施設学会がまとめた『陸上自衛隊部外土木工事のあゆみ』によれば、平成31年(2019年)までに保安隊・自衛隊が行った部外工事の件数は8269件、総土木量は約1億7000万㎥に上る。

  受託件数のピーク1962年の479件だが、以降は民間業者の保有する建設機械数が一気に増大し、それに反比例する形で部外工事は減少していき、2006年以降は受託件数0の年も珍しくない。

  かつて、国土建設の担い手として全国で部外工事を行ってきた自衛隊施設科部隊。現在は国内で部外工事を行うことはほとんどなく、むしろ国際貢献活動での工事の方が知られているかもしれない。しかし、彼らが行った工事の痕跡は今も様々なところで見ることができる。

 近年観光スポットとして人気が上がり、これを書いている4月下旬現在、ネモフィラの花が見頃を迎えている国営ひたち海浜公園だが、常磐線勝田駅から観光客が海浜公園へ向かう臨時バスが走る昭和通り(さんさん通り)も、自衛隊勝田駐屯地の施設教導隊の手で拓かれた道路だ。

 今も地域に貢献している部外工事の遺産は、あなたの近くにもあるかもしれない。

(石動 竜仁)

ウクライナにも提供されている、施設科器材の資材運搬車。クローラ(キャタピラ)で悪路も走ることができる(筆者撮影)

(出典 news.nicovideo.jp)

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