【社会】日本史の闇に真っ向から挑む「大吉原展」開幕、二度と繰り返してはならない過ちから、日本の「売買春」を考える

【社会】日本史の闇に真っ向から挑む「大吉原展」開幕、二度と繰り返してはならない過ちから、日本の「売買春」を考える

日本史の闇に目を向けることは勇気が必要ですが、その闇を掘り下げることで過去に学び、未来を切り開いていくことができるでしょう。大吉原展が社会に深い影響を与えることを期待しています。

江戸幕府公認の遊廓であった「吉原」と、そこで生まれた文化・芸術にスポットを当てた「大吉原展」が東京藝術大学大学美術館にて開幕した。

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文=川岸 徹

約250年にわたって続いた遊廓

 吉原は1618(元和4)年に日本橋葺屋町に開設された幕府公認の遊廓。1657(明暦3)年の明暦の大火直後には、浅草寺北の日本堤へ移転した。以前の遊廓は元吉原、新しい遊廓は新吉原と呼ばれた。ここでは両方を合わせて、「吉原」と総称する。

 吉原の基盤産業は言うまでもなく「売買春」だ。遊廓開設当初の遊女の数は1000人以下だったが、移転後に急増。1855(安政2)年には3731人を数えたという (小野武雄氏の著書『吉原と島原』より)。遊女たちの身は遊女屋によって徹底的に管理され、遊廓自体も四方を堀に囲まれていたため、逃げ出すことはできない。遊女が書いた日記には「腐ったご飯しか食べさせてもらえない」「瀕死になるほどの折檻を受けた」などの凄惨な様子が記されている。

 この日本史の闇ともいえる「吉原」に真っ向から挑む展覧会「大吉原展」が東京藝術大学大学美術館にて開幕した。

 

「大吉原展」開催で伝えたいこと

 本展の開催をSNSでの騒動やニュースで知ったという人も多いだろう。当初の展覧会タイトルは「大吉原展 江戸アメイヂング」。チラシには“イケてる人は吉原にいた”“ファッションの最先端”などのコピー踊っていた。「負の歴史を美化するな」「女性の性的搾取が行われていた事実に触れていない」。そうした批判を受け、主催者側は広報のあり方などを見直して開幕する運びとなった。

 開幕にあたって、本展の学術顧問を務める田中優子氏は以下の文章を発信している。

「本日から開催する「大吉原展」は、吉原を正面からテーマにした展覧会としては初めてなのではないかと思います。もちろん、本日ご覧いただく喜多川歌麿の浮世絵などは、浮世絵展として展示されたことはありますが、それを吉原というテーマのもとに、遊女の姿や着物、工芸品、吉原という町、そこで展開される年中行事、日々の暮らし、座敷のしつらいなどを含めて、一つの展覧会に集めたことは、今までありませんでした。

 なぜかというと、吉原の経済基盤は売春だったからです。吉原を支えた遊女たちは、家族のためにやむを得ずおこなった借金の返済のために働いていたわけで、返済が終わらない限り、吉原を出ることはできませんでした。そのことを忘れるわけにはいきません。これは明確な人権侵害です。ですから、吉原をはじめとする「遊廓」という組織は、二度と出現してはならない場所です。

 江戸時代に「人権」思想はありませんでした。そして明治以降、解放令が出されたにも関わらず遊廓は1958年に売春防止法が実施されるまで存続しました。その後も現在に至るまで、日本社会に売買春が存在する理由の一つは、吉原をはじめとする各地の遊廓が長い間存在し続け、それが、「女性」についての固定観念を作ったからだ、と認識しています。」(前半部分を抜粋)

 展覧会は、「美術作品を通じて江戸時代の吉原を再考する機会」という位置づけ。決して吉原を美化するものではない。約230点の展示品を通して、約250年続いた“幕府公認の遊廓”の真の姿を探っていく。

文化・芸術の発信地としての吉原

 吉原は性的搾取の場であったが、文芸やファッションなど流行発信の場になっていたこともまた事実。3月の花見、遊女を供養する7月の玉菊燈籠、吉原芸者が屋外で芸を披露する8月の俄。吉原は季節ごとの演出に彩られ、地方からも見物客が訪れる人気スポットになった。

 そんな華やかな吉原に浮世絵師たちも心惹かれた。展覧会では国内外の美術館から集めた「吉原」をテーマにした浮世絵を鑑賞できる。遊女・花紫がなじみ客に送る文を記す様子を描いた喜多川歌麿《青楼七小町 玉屋内花紫 せきや てりは》、遊女の突き出し(デビュー)を記念して出版された「若那初衣装」シリーズの一枚・鳥文斎栄之《若那初衣装 かなや内ときわき はるの ときわ》、歌川国貞が座敷持ちの高位の花魁から下級の遊女まで5人の女性を描いた《北国五色墨》。喜多川歌麿の肉筆画で最大級といわれる《吉原の花》も、米国ワズワース・アテネウム美術館から里帰りし展示されている。

 こうした珠玉の名品に、いつもであればワクワクさせられるのだが、今回ばかりはまったく心が弾まない。華やかな作品の裏側にはどんな物語が隠されているのだろうか気になってしまい、純粋に作品を楽しむ気にはなれないのだ。

 展覧会には浮世絵以外も展示されている。才色兼備三味線の名手でもあった遊女・玉菊が使っていたとされる《伝 玉菊使用三味線》。多くのなじみ客に愛された人気者だったが、わずか25歳でこの世を去ったという。

 日本近代洋画を代表する一枚、高橋由一《花魁》(1872年)もいつもと見え方が異なった。当時、人気絶頂であった花魁・小稲をモデルにした肖像画。これまで作品から小稲がもつ力強さ、逞しさを感じていたが、実は彼女の心中はそうでなかったらしい。小稲は錦絵の美人画特有の理想化されたビジュアルを期待していたが、完成品はそうはならなかった。出来上がった作品を見て、「私はこんな顔じゃありません」と泣いて怒ったそうだ。

 

日本は「売買春」と真剣に向き合うべき

 展覧会の開催にあたって本展学術顧問・田中優子氏が発表した文章は以下のように結ばれている。

「ところで、この4月からは「女性支援法」が施行されます。これは、売春女性を「更生させる」という従来の考え方から、女性たちを保護するという「福祉」へ、制度の目的を変える法改正です。しかし女性が人権を獲得するには、それだけでは足りません。女性だけが罪を問われることは、一方的すぎます。北欧やフランスでは、「買春行為」をも処罰の対象とする法律が制定されています。日本もまたその成立を目指すべきだと思っています。

 私はこの展覧会をきっかけに、そのような今後の、女性の人権獲得のための法律制定にも、皆様に大いに関心を持っていただきたいと思っています。」

 田中優子氏が述べる通り、日本は「売買春」について深く考えなければならない。日本の性風俗関連産業の市場規模は7兆6636億円(門倉貴史氏の著書「世界の下半身経済がわかる本」より)にも及び、日本は海外から性産業大国として認識されている。「援助交際」や「パパ活」といった言葉も一般的に使われている。どう考えても、異常だ。

 純粋な気持ちでアートを楽しめる展覧会であるかどうかはわからない。ただし確実に「考えさせられる展覧会」ではある。

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喜多川歌麿《吉原の花》寛政5年(1793)頃 ワズワース・アテネウム美術館 Wadsworth Atheneum Museum of Art, Hartford. The Ella Gallup Sumner and Mary Catlin Sumner Collection Fund

(出典 news.nicovideo.jp)

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