【国際】「死ぬやつは死ね。という政策なのだ」北朝鮮の食糧難が末期症状
【国際】「死ぬやつは死ね。という政策なのだ」北朝鮮の食糧難が末期症状
北朝鮮は2日、金正恩総書記の立ち合いの下、極超音速ミサイル「火星-16ナ」の試射を行った。相変わらずの軍事挑発だが、その一方で民は飢えに喘いでいる。
1924年に出された「朝鮮無双新式料理製法」は、100年前の朝鮮でどのようなものが食べられていたかを知る貴重なレシピ本で、何度も復刊されている。朝鮮料理を中心に和洋中まで790種類の料理のレシピが収録されているが、「松肌餅」「松脂餅」「松皮餅」などと呼ばれるものがある。
松の皮を、タバコ葉の茎を焼いて作った灰を入れたお湯で何度も茹でて、完全に灰汁を抜いてから粉にして米粉と混ぜて餅にしたものだ。壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮侵略)や丙子胡乱(清朝の朝鮮侵略)の際に「救荒食品」としてできたと伝えられ、日本でも18世紀の宝暦の飢饉のときに食べられていた。
だが、北朝鮮では未だに現役の食べ物のようだ。咸鏡南道(ハムギョンナムド)北倉(プクチャン)出身で脱北者のパク・ウンチョルさんは、NGO「北韓人権市民連合」に寄せた手記で次のように記している。
「山に住んでいた人たちは食べ物がなく、葛の根、松の皮、ドングリなどを主食にして凌いでいたが、病気になって顔がむくみ、死ぬ人も出てきた」
これは大飢饉「苦難の行軍」の最中だった1998年の状況についてものもだが、パクさんの出身地の北倉、隣接する洪原(ホンウォン)や栄光(ヨングァン)の2024年3月の食糧事情は、今も変わらず悲惨なものだ。
現地のデイリーNK内部情報筋によると、これら地域の農村部では、食べるものもそれを買う現金も底をついた「絶糧世帯」が徐々に増えつつあり、住民の間では不安感が高まっている。
「ポリッコゲ(春窮)が来る前から食糧難に喘ぐ家が多く、深刻な危機に直面している。こんな状況なのに国は対策を立てるはおろか、『自力更生せよ』と繰り返すばかりだ。現状で自力更生など、『生き残れる者は頑張って生きろ、死ぬ者は死ね』という政策も同然だ」(情報筋)
栄光郡内では先月下旬、こんな悲劇的事件も起きている。
4人家族の父親が結核に倒れ、8歳の息子も栄養失調で起き上がれなくなった。治療費もなければ、食べ物を買う現金もなく、もはやツケや借金で首が回らなくなっていた。家々を訪ね歩き食べ物を貸してもらえないかと頼み込んだが、苦しいのはどこも同じ、全く貸してもらえなかった。飢えに耐えかねた家族は、自らの手で人生に幕を下ろしてしまった。
また、洪原郡では先月初旬、海岸で貝を拾い市場で売って生計を立てていた夫婦が、自宅で遺体となって発見される痛ましい事件が起きた。
情報筋によると、農村地域はどこでも食糧が底をつきかけ、他人を助ける余裕などないという。このような状況が好転するのは、麦の収穫が始まる初夏以降だ。