【皇室】なぜ自民党と新聞は「愛子天皇」をタブー視するのか…「国民の声」がスルーされ続ける本当の理由
【皇室】なぜ自民党と新聞は「愛子天皇」をタブー視するのか…「国民の声」がスルーされ続ける本当の理由
■「限られたメンバーで、静かな環境で議論を深めたい」
自民党の「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」は、3月18日、政府の有識者会議がまとめた報告書について意見を交わし、会長を務める麻生太郎・副総裁が
「皇室の在り方は国家の根幹をなす、極めて重要な課題だ。限られたメンバーで、静かな環境で議論を深めたい」と述べたという。
実の妹が皇室に嫁いだ麻生氏だけに、下々の声というか、余計な雑音が入らない「静かな」状況を望んだのかもしれない。
同じ与党の公明党は、皇族数の確保に向けた意見書の案をまとめ、野党の立憲民主党は、論点整理を衆議院と参議院の議長に提出した。
政府の有識者会議が報告書をまとめてから2年が過ぎ、いま開かれている通常国会のなかで与野党協議が行われると報じられている。
どの政党も、そして、それを報じる新聞もテレビも、「女性宮家の創設」が論点かのように話を進めている。
自民党や、その支持層とされる「保守派」にとっては、論点にするなどとんでもないのかもしれない。あるいは逆に、「天皇制」そのものの廃止を訴える人にとっては、ズレていると見えるのだろう。
ただし、ここで考えたいのは、皇位継承や、女性宮家、あるいは、旧宮家の皇族復帰、といった点ではない。
「愛子天皇」についてである。
なぜ、どの政党も、そして、大手メディアも「愛子天皇」を考えようとしないのだろうか。
■「愛子天皇」というタブー
ネット上や週刊誌には「愛子天皇」があふれている。
私が公式コメンテーターをしているYahoo!ニュースのコメント欄(ヤフコメ)では、愛子さまの話題が取り上げられるたびに、「愛子天皇」が飛び交うし、X(旧ツイッター)上でのレスバには間断がない。いつも「愛子天皇」をめぐって、誰かが議論をしている。
メディア論を研究する者として興味深いのは、このギャップである。
自民党や立憲民主党、さらには、大手新聞やテレビには、ほぼ「愛子天皇」は見られない。一方で、ネットや雑誌には、常に「愛子天皇」が取り沙汰されている。前者にとっては存在しないかのようであり、反対に後者にとってはデフォルトのようになっている。
マルチバース(いくつもの宇宙)のように、正反対の世界線を描いているのは、なぜなのだろうか。
とはいえ、前者のなかでも皆無だったわけではない。
毎日新聞は2年前(2022年)の年明けに、「年末年始の雑誌がこぞって『愛子天皇』待望キャンペーンを張っている」と署名記事で触れている。また、その2カ月後には日本経済新聞で、皇室を担当する編集委員が「秋篠宮家たたきの反作用なのか、悠仁さまを差しおいた『愛子天皇論』もさかんだ」と批判している。
どちらも「愛子天皇」を否定する文脈で使っており、別の宇宙での出来事のごとく、実現しない、反実仮想として言及しているのである。
■「フィルターバブル」に陥っている
後者にとっては、どうか。
強く主張しているひとりは、『ゴーマニズム宣言SPECIAL愛子天皇論』(扶桑社)を出版した、漫画家の小林よしのり氏である。「皇太子は天皇の子供! 本来、愛子さましかなれないのだ!」との立場に明らかなように、「男系固執派」に対峙(たいじ)している。
小林氏をはじめとする「愛子天皇論」者への反論や別の議論もある。
評論家の八幡和郎氏は、「愛子天皇」誕生への期待を理解しつつも、「より広く、現実的な視点で皇位継承を議論していくことが必要だ」とプレジデントオンラインに寄稿しているし、先に述べたように「女性宮家の創設」を認めない声も見られる。
あたかも、いろいろな考え方が自由に交わされているかのように映るかもしれないが、そうではない。
逆に、「愛子天皇」に関して、無視する立場(政党と大手マスコミ)と、前提とする立場(ネットや週刊誌)が、お互いのスタンスを視野に入れていない。昨今の情報社会の危うさとして指摘される「フィルターバブル」(みずからの考え方や価値観の泡の中に孤立する)に、どちらも陥っているのではないか。
■なぜ「NGワード」になっているのか
いや、正確に言わねばなるまい。
「愛子天皇」をめぐって侃侃諤諤な人たち(ネットや週刊誌)にとっては、それをタブー視する人たちもまた議論の対象と言えよう。賛成であれ反対であれ、精緻であれ稚拙であれ、「愛子天皇」について考え、言葉を交わしている以上、その世界には確かに存在しているからである。
他方で、「愛子天皇」を口にしてはならないかのように、もしくは、せいぜい非難の的でしかない人たち(政党や大手マスコミ)にとっては、触ってはいけない「NGワード」になっているのではないか。
理由は、反発を恐れているからである。たとえば読売新聞は、3月24日朝刊の社説で、次のように指摘している。
■閉じこもり続ける政党と大新聞
こうした反応を恐れているために「愛子天皇」など、めっそうもない、という態度になっているとみられる。
読売新聞は、「女性宮家を認めずに皇族女子に皇室に残ってもらう、とはどのような仕組みになるのか、イメージが定まらない。自民党は具体的な案を示す責任がある」と主張している。
自民党に責任があるのは言うまでもない。と同時に読売新聞は、日本一の発行部数を誇り、「役員クラス」や「世帯年収2000万円以上」にも「世帯での金融資産額5000万円以上」にも、最も高い新聞到達率だと自社サイトで示している以上、自民党と同じぐらいの責任があるのではないか。
ネット上では、もはや「女性宮家の創設に慎重」かどうかよりも、「愛子天皇」をめぐって、さんざん言葉が交わされている。寝た子を起こすな、式の議論にとどまっているのは、政党や大新聞(とテレビ)ぐらいではないか。
■「本人の気持ちに思いをはせる」こと
朝日新聞の喜園尚史記者は、2020年に同社のサイト「論座」(現在は閉鎖)に寄せた「『愛子天皇』を語ることへのためらい」と題した文章を、「愛子天皇」の文字は、「本人の気持ちに思いをはせると、口にするのをためらう言葉です」と結んでいる。
もちろん、皇族のお一人おひとりも人間であり、「本人の気持ち」を、ないがしろにしてはならない。それどころか、生身の感情を持っている以上、「気持ち」を最優先にすべきだとさえ言えるかもしれない。
けれども、問われているのは、「安定的な皇位継承の確保」であり、仕組みをどうするのか、ではないのか。制度をどうやって続けるのか。もしくは、続けられないのならシステムを変えたり、やめたりするのか。
なるほど「本人の気持ちに思いをはせる」態度は美しい。人間であれば当然であり、かくありたい。記者の文章に血が通うのは大切である。
だからといって、「気持ち」に流されるあまりに、「口にするのをためらう」ばかりで、良くも悪くも「愛子天皇」がネットや週刊誌で使われている現実に目を逸らし続けるのは、あまりに無理ではないか。
そんなタブー視をやめ、「天皇制」そのものをどうするのか。あくまでも制度の問題としてとらえ、冷静かつ忌憚(きたん)のない議論を進める。それこそが、「本人の気持ちに思いをはせる」ことではないのか。
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神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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