【社会】なぜ日本人は「道ばたの財布」を交番に届けるのか…「海外より礼節を重んじるから」ではない歴史的な理由
【社会】なぜ日本人は「道ばたの財布」を交番に届けるのか…「海外より礼節を重んじるから」ではない歴史的な理由
※本稿は、瓜生中『教養としての「日本人論」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■なぜ日本人はお辞儀をするのか
若いサラリーマンが街中で携帯電話をかけながらぺこぺこお辞儀をしている姿をよく見かける。考えてみれば不思議な光景で、恐らく電話をしながらお辞儀をするのは日本人ぐらいのものだろう。ことほど左様に日本人は老いも若きもよくお辞儀をする。そこで、日本人は礼儀正しい民族であるということを自他ともに認めている。
このように、日本人がよくお辞儀をするのは神に対する態度のあらわれで、古くから培われてきたものである。神社の神前には「二拝二拍手一拝」という看板が掲げられている。言うまでもなく神前では2回平身低頭して、2回拍手を打ち、最後に1拝する。
これは神に対して最大限の恭敬の意を示す所作であるが、それが人間にも適用されているのである。神に対しては「二拝二拍手一拝」のように最大限の礼を尽くすが、人間の場合には長幼や親疎などによってお辞儀も使い分けられている。
例えば師や先輩、利害関係において優位に立っている人に対しては深々と頭を下げて鄭重に対応するが、友達や親族に対しては頭の下げ幅は小さくなり、ごく親しい相手には会釈程度で済ますこともある。
■座布団を勧められてもすぐには応じない
また、近年は椅子に坐る生活が一般化しているが、日本には畳の文化があり、畳の上に坐る生活が長きにわたって続いてきた。他家を訪れたときには座布団を勧められても2、3回は固辞してから坐るのが礼儀とされてきた。これも日本独自の文化ということができるだろう。
もちろん、海外にも挨拶をする文化はある。しかし、とりわけ、欧米人は長幼の序や身分関係を重んじないことから、年少の者や下位の者が年長者や上位者に殊更に深々と頭を下げる習慣は見られない。ただし、抱擁や握手、接吻といった日本人には見られない習慣がある。
また、インドには五体投地という頭から足までひれ伏して神に恭敬の意を捧げる風習があり、日本にも仏教を通じて伝わり、寺院の法要などでは今もこれに近いことが行われている。しかし、それはあくまでも宗教的な儀礼であって、対人間に関してはそのようなことが行われているわけではない。
■なぜ日本人は落とし物の財布を交番に届けるのか
日本人は拾った財布を交番に届ける。このことは落とし物がほとんど出てこない国に住んでいる外国人にとって驚くべきことらしい。そして、結果的に日本人の美徳の一つに挙げられている。
しかし、落とし物を届けるのは、果たして礼節を守る日本人の倫理観に基づくものなのであろうか。
日本人が落とし物を交番などに届けるのは、これまで長きにわたって暮らしてきた生活環境によるのではないだろうか。日本人は古くからムラ単位の狭い世界で生活してきた。ムラの住人はすべて血縁か顔馴染みで、どこの誰がどこに住んで何をしているかがすべて分かっていた。
ムラは農作業を共同で行う強固な集合体で、強い団結力を備え、ムラの掟によって整然とした秩序が保たれてきた。ムラの寄り合いや共同作業に欠席したり、他人のものを盗んだりすると、どこの誰の仕業かがすぐに分かってしまい、罪を犯した者は相応の罰を受けなければならなかった。
落とし物を届けなかったりすればどこの誰がネコババしたのかはすぐに判明したのである。たとえば、落とし物を我が物にして逃走したりすればたちまち生活の糧を失うことになる。だから、人によっては不承不承、持ち主に返したのである。
■ムラ社会の秩序を保つための倫理観
一方で室町時代には名主を中心にムラの有力者で田畑や用水、入会地の管理などムラの重要事項を「村掟」として定める「惣村」が出現した。彼らは一致団結して自治的なムラの運営をしたのである。そして、大名など権力者の不正や横暴に対しては一揆を結んで結束を固め、不満が募ると蜂起して自らの要求を通そうとした。
このような農民の動きを警戒した徳川幕府は、農民の宗教的心情から衣食住に至るまで広い範囲で強固な規制を敷いたのである。そして、惣村に見られる強固な団結力を利用して農村の支配を強化したのである。その典型的な例が「五人組の制」で、村人を五戸一組にまとめて相互に監視させ、貢納などに関して連帯責任を負わせたのである。
もともと日本の社会は個人という観念が希薄な集団である。そして、その集団はムラのような狭い社会で、内部の人間はみな顔見知りで所在が分かっている。そのことがムラの秩序を保つ上での倫理観を形成したと考えられる。だから、その組織が崩れれば倫理観も崩れて秩序を失うことになる。
■「個人」が特定されなければ闇バイトにも手を染める
戦後は都市に人口が集中して地方は過疎化が進んでいる。近年は「限界集落」という言葉が示すように、全国の集落(ムラ)は崩壊寸前か、すでに多くの集落が消滅している。都市部を中心に核家族化が進み、単身世帯も急増している。2020年の国勢調査で全世帯に占める単身世帯の割合は約38パーセント、1位の東京都は約50.2パーセントが単身世帯で、1980年と比べると約20パーセント増加している。
都会では隣組的な交流もほとんど見られず、隣人と会話を交わしたこともなく、顔も分からないというケースがほとんどだ。多くの人々は「隣は何をする人ぞ」で日々を暮らしているのである。それに加えてネット社会の進展で不特定多数の人同士の交流は盛んであるが、多くの人がハンドルネームを使い、所在も分からず顔も見えない交流が広く行われている。
ビジネスでは、今でも名刺を交換する文化は残り、お互いに相手の会社の住所は知っているが、相手の住まいは知らないことがほとんどである。そんな状況の中、ネットを媒介としていわゆる「闇バイト」と称する違法な仕事を紹介され、それに応募して特殊詐欺や強盗という凶悪犯罪に手を染める若者も増えている。
外部からの圧力がなくなれば倫理観も減退していくのが人間の本性であるが、その点「礼節を守る」日本人も例外ではない。
■世の中が乱れると犯罪に手を染める人が増える
元弘3年(1333)、鎌倉幕府が滅亡すると後醍醐天皇がいわゆる「建武の新政」を行い世の中の構造は180度転換した。これに伴って世の中は大いに乱れた。このとき、後醍醐天皇の御所があった二条富小路近くの鴨川の河原に「二条河原落書」として知られるものが掲げられた。この落書は市民の何ものかが書いたものだが、当時の混乱した状況を如実に伝えている。
冒頭で「此比(ごろ)都ニハヤル物、夜討、強盗、謀綸旨(にせりんじ)」といい、社会の乱れに乗じて夜討や強盗などの凶悪犯罪が多発したと言っている。また、「綸旨」とは天皇の意向を伝える命令文であるが、そのニセモノが横行しているというのである。世の中の乱れに応じて人心も大いに乱れると、人々は平気でウソをついて凶悪犯罪に手を染める者もいる。
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文筆家、仏教研究家
1954年東京生まれ。早稲田大学大学院修了。東洋哲学専攻。仏教・インド関係の研究、執筆を行い現在に至る。著書は、『知っておきたい日本の神話』『知っておきたい仏像の見方』『知っておきたい般若心経』『よくわかるお経読本』『よくわかる浄土真宗 重要経典付き』『よくわかる祝詞読本』『教養としての「日本人論」』ほか多数。
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