【国際】洪水に流された民家より「首領様ゆかりの場所」を最優先で復旧
【国際】洪水に流された民家より「首領様ゆかりの場所」を最優先で復旧
北朝鮮と中国の国境を流れる鴨緑江流域では、先月末の台風3号(ケミ)の影響で大雨が降り、洪水が発生した。中でも中流の両江道(リャンガンド)での被害は深刻で、多くの民家が流された。
早速、復旧工事が始まったが、その優先順位を巡り地域住民からは不満の声が漏れ伝わる。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。
両江道の幹部は、道内で最も被害が深刻だった地域として金亨稷(キムヒョンジク)郡を挙げた。鴨緑江のみならず、支流の厚州川(フジュチョン)、厚昌江(フチャンガン)も氾濫し、住宅は屋根まで水に浸かり、人的被害も発生した。
厚州川の上流には、山で採伐された木の2か所の貯木場が南社(ナムサ)労働者区に存在するが、増水で水門を開けざるを得ず、下流の蓮下里(リョナリ)と古邑(コウプ)労働者区が水に飲み込まれ、避難できなかった数十人が死亡した。一方、蘆灘(ロタン)労働者区は厚昌江の氾濫で浸水し、住宅20棟が流されたが、幸いにして人的被害は報告されていないという。
金亨稷郡では、金正恩総書記が進める「地方発展20×10政策」のモデルケースとして、地方工業工場の建設が進められていたが、朝鮮労働党両江道委員会(道党)の責任書記(地方のトップ)の指示で、建設が先月31日に中断され、建設に動員されていた軍人や突撃隊(半強制の建設ボランティア)は、当面は災害復旧に当たることとなった。
しかし、現地の住民はこんな不満の声を上げている。
「先月27日に降った大雨で家を失った人も多いというのに、住宅建設は後回しにされ、水害復旧に動員された人々は、全員が、邑(ウプ、郡の中心地)にある史跡地や堤防を積む工事に動員されている」
郡内には、当時13歳だった金日成氏が、当時住んでいた旧満州から鴨緑江を渡って朝鮮に入った葡坪(ポピョン)という船着き場があり、革命史跡地として、革命の歴史を学ぶ踏査(フィールドワーク)の代表的なコースに含まれている。旧満州に戻る際、彼はここで、「国が独立しなければ二度と戻らない」と誓いを立てたとされている。
労働者が投入されたのはこの船着き場の跡、葡坪史跡館、そして旅人宿(木賃宿)で、一番最初に復旧が終わった。次いで、堤防の復旧工事に取り掛かった。堤防は中国側から丸見えであるため、復旧を急げというのが道党の指示だった。
次の大雨に備え、堤防の復旧を急ぐのは復旧を急ぐのは理解できるが、金日成氏が80数年前に少し立ち寄っただけの場所の復旧に人員や資材を投入するのは理解しがたいことだ。しかし、何事にも優先するのが、金氏一家に関することというお国柄だけあり、被災者の生活再建はそっちのけで、史跡地の復旧を急ぐのだ。
そんな国のやり方に強い不満を持っていても、大っぴらに語ることはできない。「マルパンドン」(言葉の反動分子、反政府主義者)扱いされかねないからだ。
住宅建設に関しては時期、方法などが何も決まっていない。家を失った被災者は、夏休みに入った学校の建物で寝泊まりしている。国から資材が供給されておらず、自力で調達しようにも問題が立ちはだかる。
「住宅建設に必要な木材を手に入れようとしても、国家的な山林緑化政策のせいで、中央の承認がなければ山の木を切ることができない。地方工業工場の建設人員をいつまでも災害復旧に動員するわけにはいかないので、至急対策を立てなければ、建設はずっと遅れるばかりだ」(情報筋)