【社会】「統一教会の言うことを聞く総理大臣をつくろう」永田町に送り込まれた”Fレディー”の見えざる活躍

【社会】「統一教会の言うことを聞く総理大臣をつくろう」永田町に送り込まれた”Fレディー”の見えざる活躍

永田町には、こんな闇が渦巻いているとは驚きです。早急に解決すべきだと思います。

統一教会はなぜ日本の政界と密接な関係を築けたのか。ジャーナリストの有田芳生さんは「1986年から統一教会は“Fレディー”と呼ばれる女性信者を国会議員秘書として送り込んだ。彼女たちは教団の命令なら無償でも寝食を忘れて懸命に議員に仕えるため、重宝されていた」という――。

※本稿は、有田芳生誰も書かなかった統一教会』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

■議員秘書に信者を送り込んだ統一教会

1986年夏から、統一教会は国会議員の秘書に信者を送り込むことになる。だが、その実態が明らかになることはなかった。私は1991年3月から半年間、ジャーナリスト・山岡俊介の協力を得て調査を行なった。明らかになった教団信者の議員秘書は公設秘書が3人、私設秘書が5人だ。

統一教会員の公設秘書を雇っていた衆議院議員は、新井将敬(しょうけい)(自民党渡辺派)、東力(ひがし・ちから)(自民党渡辺派)、そして菅原喜重郎(民社党)の3人。このほかにも、労働大臣を務めた千葉三郎衆議院議員自民党)の公設秘書として仕えた後、東力の秘書となり、さらに参議院議員の西川きよし(無所属)の秘書に転じた統一教会員もいた。

これらは氷山の一角にすぎない。国会議員の秘書には、議員が国費で雇い入れる公設秘書2人(第一秘書と第二秘書。現在は政策秘書も公設の扱い)のほかに、個人で雇い入れる私設秘書がいる。

■石原慎太郎氏「こんなものじゃない」

さらに取材を進めると、果たして予想通りの事実に突き当たった。複数の統一教会信者の証言から、新井将敬、高橋一郎、伊藤公介、平沼赳夫(たけお)、原健三郎の5人の自民党衆議院議員の私設秘書を教団信者が務めていたことがわかった。

雇用した議員に、秘書が統一教会員との認識があったかどうかは判然としない。信者である証拠を突きつけたところで、「雇った時には知らなかった」と言われればそれまでだからだ。

それまでに突き止めた教団信者を秘書に雇っている議員のリストを石原慎太郎衆議院議員自民党)に見てもらうと、驚くべき言葉が戻ってきた。

「こんなものじゃない。私設秘書だって数十人規模でいるよ」

■朝鮮人参エキスを売り、書類を物色…

私設秘書は、取材のハードルとなっていた。公設秘書は2人までと国会法で定められていたが(当時)、議員の裁量で採用し、費用を負担する私設秘書に人数制限はない。統一教会信者の秘書は、教団の命令ならたとえ無償でも寝食を忘れて懸命に議員に仕える。また、取材する側にとっては、私設秘書は永田町ではなく議員の地元選挙区で活動していることが多く、実態を把握するのが極めて難しかった。

取材を進めると、このほかにも少なくとも2人の信者が国会議員の私設秘書になっていることが判明した。取材を進めるほど、教団信者の議員秘書に突き当たる。そんな印象を抱いたことを憶えている。

石原慎太郎議員は、自らも統一教会信者の秘書を雇っていたと語っていた。

「ある秘書が1枚の書類を持ってきて、サインするよう求めたんだ。それを読むと『私は文鮮明氏の教えに完全に共鳴し……』といった内容だったね。それにサインすれば、統一教会員が全面的に選挙を手伝い、秘書も送りますという。この書類にサインした人たちが、当選後、勝共推進議員として公表されているんだろう。

私が雇っていた統一教会員の秘書は、後援会の支部長に、勝共連合の支部長になってくれと頼んだり、朝鮮人参エキスを売ったりと、勝手な行動もしていて、最後は不審な行動を目撃したので辞めてもらった。夜遅く事務所に電気がついていた。おかしいなと思って入ってみると、その秘書が書類を物色していたんだ」

■日本の政治家は「勝共」に騙された

文鮮明教祖とも面識のある右翼の大物・畑時夫は、私の取材にこう述懐した。

「怪しげな宗教なら警戒しただろうが、共産主義に反対するという一点で自民党議員などは警戒心もなく近づいていった。勝共ということで、日本の政治家は騙されたのだ。これが統一教会ということなら、政治家もこれほどまでは接近しなかっただろう。雇うほうも問題だが、日本の政治にかかわる国会議員の秘書にいろいろな方法で教会員を送り込む統一教会のほうが間違っている。けしからんよ」

■「信者秘書はいますよ。優秀なんだ」

一連の取材を行なったのは1990年ごろだが、いまも統一教会は国会議員のもとに秘書を送り続けていると見て間違いない。安倍銃撃事件以降、ある大臣経験者は私に「信者秘書はいますよ。優秀なんだ」と語った。「昔ほどではないが、いますよ」という古参信者もいる。

安倍元首相の銃撃事件の後、自民党は所属議員379人に統一教会との関係を調査する「点検」を行ない、教団と何らかの接点がある議員が179人と、実に半数近くに上ることを発表した。

しかし、この「点検」の中身は、単なるアンケート調査であり、議員の自己申告に依拠している。仮に教団と深い関係にあっても答えたくなければ回答しなければいい。この調査結果は関係を自ら認めた議員が179人ということを示しているにすぎず、そのまま受け取ることなどできない。ましてやこの調査には、信者秘書の存在を確認する項目はない。教団と関係を持つ自民党議員の数はもっと多いはずだ。

■「信者の国会議員を生む」という夢

「Fレディー(※)が議員秘書として永田町に侵食しはじめた1986年統一教会は信者を国会議員として国政に送り込むことも画策していた。同年の衆議院議員選挙には黛敬子(埼玉2区)、細野純子(愛知6区)、そして阿部令子(大阪3区)の3人の女性信者を、表向きは教団との関係を伏せて擁立している。

※「ファーストレディー」の略。秘書としての振る舞いを叩き込まれた女性信者

結果は全員落選に終わったものの、阿部令子は初出馬にもかかわらず7万5749票を獲得し、定数5の6位で次点になった。

その後、阿部は1990年衆議院議員総選挙に出馬すると、選挙戦途中で自民党から追加公認を受け、同党で全国唯一の女性候補となったが、7万9102票で再び次点に終わっている。

阿部は1988年7月から、自民党の大物代議士で大蔵大臣、厚生大臣などを務めた渡辺美智雄衆議院議員(1923〜1995年。中曾根派を継承して渡辺派領袖。長男は元衆議院議員、元参議院議員でみんなの党初代代表の渡辺喜美(よしみ))の秘書として仕え、「ミッチー(渡辺の愛称)の秘蔵っ子」などといわれており、渡辺本人もかなり熱を入れて阿部を応援していたことが、当時の「後援会のしおり」から窺える。

■1000人が参加した支援者集会

「あべ令子さんは、経歴、識見ともに、わが党が自信を持って公認する女性候補です。現在、自民党の衆議院には女性議員が一人もいません。次回こそ、よろしくお願いします」

1992年11月2日大阪城公園に隣接し、豊かな水と緑に囲まれたホテルニューオータニ大阪の2階、西日本最大級の大宴会場「鳳凰の間」では、高い天井で煌(きら)めく豪壮なシャンデリアの下に大勢の人が詰めかけていた。

催されていたのは「あべ令子と21世紀に羽翔(はばた)く大阪の集い」で、会費2万円のこの集会には1000人が参加した。司会を務めたのは、「阿部令子ちゃんとは古い古い付き合い」という安西愛子自民党参議院議員、講演には自民党税制調査会長の武藤嘉文(かぶん)衆議院議員(渡辺派)が立った。予定では、渡辺美智雄副首相兼外務大臣が講演するはずだったが、臨時国会中のためビデオで約5分の挨拶が会場に流された。

当時、政治評論家だった高市早苗(現・自民党衆議院議員)の挨拶に、阿部は意気軒昂にこう応えた。

「私もね、ミッチーさんのお妾(めかけ)や言われましたし、(政界に)女性が出て行くのは大変なことなんです。誹謗(ひぼう)中傷があっても阿部令子は絶対やりますから」

■霊感商法にも関与したれっきとした信者

渡辺美智雄衆議院議員自民党が把握していたかはさておき、阿部令子は統一教会のれっきとした信者なのだ。韓国統一教会の内部誌「史報」(1982年12月号)には、ソウルの蚕室(チャムシル)体育館で行なわれた国際合同結婚式の参加者6000組の名簿が載っている。ここに「阿部武│藪野令子」との記述がある。藪野は阿部の旧姓だ。

それだけではない。阿部がかつて霊感商法の霊能者役を演じ、高麗人参濃縮液と念珠を1000万円という法外な値段で売りつけていたことはほとんど報じられなかった。

「我々の言うことを聞く総理大臣をつくろう。そのために国会に入って勢力を広げる」

文鮮明はかねてより説教などでこう公言しており、14年ぶりの来日を果たした1992年には、兵庫県にある教団の宝塚修練所を訪れ、信者1000人を前に演説した。この1000人の中に阿部もいた。文鮮明は直々に「頑張れ」と激励していたのだ。

■朝6時から夜12時まで無償で働く信者たち

阿部令子の選挙戦には全国から600人ほどの信者が動員され、戸別訪問や電話作戦、ウグイス嬢や銀輪作戦(自転車で応援にまわること)などの活動が割り当てられた。運動員となった信者は寝食を忘れて猛烈に働く。もちろん無償だ。

ほんの一例だが、戸別訪問の場合、朝は午前6時には出発し、夜も可能なかぎり遅くまで動き、午後11、12時になると駅頭で阿部の支持を訴えた。2時間に1回、獲得した票数を電話で選挙事務所に報告する義務が、運動員には課されていた。

統一教会の選挙運動は、違法行為も厭(いと)わない。阿部の選挙戦を手伝った元信者が、その実態を赤裸々に話す。

「選挙終盤には、自民党の別候補と共産党候補を誹謗する出所不明のビラが、上の組織から降りてきて、夜11時すぎから撒いたこともありました。朝の出発式に阿部さんがやってきて、『私は誹謗中傷されているが、お父様(文鮮明)のためにこの使命を全うしたい』『御父母様(文鮮明夫妻)の御名をとおしてお祈りいたします』と言ったのを聞きました」

■国際勝共連合も永田町への侵食を試みていた

阿部が統一教会の信者であることを察知した私や「朝日新聞」などがキャンペーンを張り、事実を明るみに出したため、その後、選挙に出馬することを断念したが、教団は本気で国会議員をつくろうとしていたのだ。

政治への接近、侵食を試みていたのは教祖・文鮮明だけではない。

当時、統一教会、国際勝共連合の初代会長の職にあった久保木修己も熱心な動きを見せていた。

1960年代、新宗教創価学会が勢力を急拡大しており、1961年には国会議員の誕生をめざして公明政治連盟が創設される。1964年には公明党を結成し、翌1965年参議院選挙で11人が当選を果たした。創価学会が国政で議席を得たのを目の当たりにした久保木は、政治の絶大な力を理解していた。教団に計り知れないメリットをもたらす自前の国会議員を生み出そうとしたのは、当然だったのである。

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有田 芳生(ありた・よしふ)
ジャーナリスト
1952年京都府生まれ。前参議院議員。出版社を経てフリーとなり、主に週刊誌を舞台に統一教会オウム真理教事件等の報道にたずさわる。日本テレビ系「ザ・ワイド」等にもコメンテーターとして出演。政治家としては北朝鮮拉致問題、差別、ヘイトスピーチ問題等に尽力。著書に『北朝鮮 拉致問題 極秘文書から見える真実』(集英社新書)、『改訂新版 統一教会とは何か』(大月書店)他多数。共著に『統一協会問題の闇 国家を蝕んでいたカルトの正体』(小林よしのりとの共著、扶桑社新書)等がある。

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※写真はイメージです – 写真=iStock.com/StudioKreativa

(出典 news.nicovideo.jp)

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