【社会】旧統一教会2世の元セクシー女優が“出演を決意した”経緯「罰せられたいという願望が強かった」
【社会】旧統一教会2世の元セクシー女優が“出演を決意した”経緯「罰せられたいという願望が強かった」
華やかにみえる“妖しさ”が、悲しみに裏打ちされていることはままある。
筆者の前に姿を現したのは、艶っぽくもあり、儚げにも見える笑顔が魅力的な女性だった。桃瀬ゆり氏、元セクシー女優。出演本数は200以上にのぼり、タイトルには「SM」「凌辱」などの字面が踊るものも多い。“ハードな性”を生業にしてきた女性だ。
だが当の本人は、どんなハードな仕事も「楽しい現場でした」と振り返る。そして「これまで生きてきた環境に比べたら、たいていのものは楽しいんです」と沈んだように続けた。
◆「旧統一教会の信者」である両親のもとで育つ
話の最中、時折見せる遠くをみるような視線が印象的だ。桃瀬氏が生き抜いてきた過去とは、どのようなものだったのか。
「すごく変な話なんですが、痛みを与えられると性的な快感を感じるんです。もっと言葉を選ばずに言うと、“濡れる”んです」
開口一番、突然打ち明けられた秘密に、狼狽えた。だが生育歴を聞いて、少し靄が晴れた気がした。
「私は7歳頃から10年近く、父の仕事の都合でアメリカで過ごしました。両親ともに旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に入信している“宗教2世”です。母は生真面目で融通が利かない人で、特に熱心な信者でした。旧統一教会で信じられている”原罪”とどう向き合うかを真剣に考えている人です。そのため、私たち姉妹が“堕落”しないようにかなり厳しい躾をしていました。その態様は、体罰と呼んで差し支えないものでした」
◆「父なりの性教育」は性加害にも思えるが…
旧統一教会信者である両親が特に徹底したのは、貞操観念だった。それは著しく歪んでいるどころか、性加害にも思える。だが桃瀬氏は、「父なりの性教育として受けて入れている」のだという。
「私が中学生くらいのときだったと思います。姉に彼氏ができたことが発覚し、両親は激怒しました。父は、姉や私に対して、『お父さん以外にこういうことをされてはいけない』と言って、直に胸を触ったりしてきました。父は激昂すると椅子を投げたりする人で、昔から怖かった印象があります。幼いときに口ごたえをして、髪の毛を掴んで振り回され、流血したこともありました。他にも、怪獣ごっこなどで遊んでいるときに、故意かどうかは不明ですが、膣内に父の指が入ってきたこともあります」
◆母にいじめについて相談したら「それどころじゃない」
性的な類のこと、もっと具体的にいえば恋愛については厳しい規制があった一方で、いじめなどの問題解決には無関心だった。
「これは母の話ですが、中学校でいじめられて悩んでいたとき、相談したら『それどころじゃない』と話すら聞いてもらえませんでした」
だが桃瀬氏自身、そうした家庭環境に違和感を感じながらも、大筋では納得していたのだという。
「旧統一教会が言うところの『真(まこと)の愛』を得るためには、こうした厳しさが必要なのではないか。本気でそのように考えていました。もちろん思春期などで教会から距離を取ったときもありますが、根っこの部分では信仰を捨てていませんでした。それに、母に関してのみ言えば、おそらく彼女が子どもたちを“堕落”させないために本気で善導しようとしていたのは疑いようがなく、そういう意味では母から愛されていると今でも思っています。
ただ、同時に思春期になれば性への興味が頭をもたげてきますよね。自分は両親が理想とする、あるいは教義の通りの人間にはなれないという思いを常に感じていました」
◆仲良くなれた同級生から「強引に引き剥がされた」
桃瀬氏の学生時代は、まさにかごの中の鳥。およそ旧統一教会以外に触れることは許されなかった。
「日曜日は毎週教会へ行き、そのあとバラを売るなどの“経済活動”をすることがほとんどです。また、あるときから学校には通わず、私と姉は1つの部屋に閉じ込められ、そこでホームスクーリングを利用していました。その部屋は放置されていたのでどんどんゴミが溜まっていき、ひどい有り様でした。もちろん友人など呼べません。そもそも両親が友人など必要ないと考えていたので、呼ぶ人もいませんでしたが。中学生のころは、せっかく仲良くなれた子の自宅に父が電話をかけて『うちの娘はレズなので付き合わないほうが良いですよ』などと吹聴し、強引に引き剥がされたこともあります」
旧統一教会の信者たちには、学校や会社などより優先される教義がある。韓国・清平(チョンピョン)に集まって先祖解怨/先祖祝福、霊分立を行う“修練会”だ。桃瀬氏とその家族もご多分に漏れず何度か参加することがあったという。
「修練所に信者たちが集まり、40日間またはそれ以上にわたって、ずっと修練を行うんです。体育館のような場所に連れて行かれ、90分間ずっと自分の全身をひたすら叩くのです。頭からつま先まで、本当に叩いていないところはないくらい、すべてです。背中にある手が届かない場所は他の信者にやってもらいます。白い服を着ているのですが、叩きすぎて手の皮膚が破けて血で染まるほどでした。これを日に3回ずつ行います。
性的なことを抑圧されて育ったことに加えて、こうした苦痛を定期的に与え続けられているうちに、私はいつの間にか『痛みで感じる』ようになってしまったんです」
◆「28キロ」まで体重が落ちてしまう…
過酷な家庭環境に適合できず、桃瀬氏が摂食障害になった際も、改善のためにとられた策は医療よりも信仰に近いものだった。
「もっとも痩せたときは28キロまで体重が落ちました。生理が止まるのは当然ですが、筋力が低下しているのですぐに失禁してしまうような状態でした。清平の修練所に併設された病院に入院することになりましたが、母が医師から『なぜここまで放置したのか』と驚かれるほど、私は衰弱していたようです。『ここに居たくない!』と暴れた私は麻酔で眠らされました。目が覚めると傍らには母がいて、『悪霊を追い払わないと』と言って私の身体を痣になるくらい叩いていたのを覚えています」
◆「罰せられたいという願望」からAV出演に至る
その後、桃瀬氏は日本へ帰国。この頃から、SMバーへ通うなど、これまでの性的体験を取り戻すかのような性的放逸が目立つようになる。この選択について、氏は意外な言葉を口にする。
「禁忌とされた性にここまで溺れ、自分は救われない存在だと思いました。罰せられたいという願望が非常に強かったと思います。そして、それはどんどん加速していき、水商売勤務、AV出演、風俗店やSMクラブ勤務と、ステップアップしていくことになります」
皮肉なことに、信仰上は“堕落”とされたこれらの行為によって、桃瀬氏は自分を取り戻していくことになる。
「性を売り物にすることは、もちろんたいへんなこともありましたが、それでも自分の人生を生きるきっかけになったと思います。始めた当初は自傷の意味があったことは否定しません。しかし、それもやがて薄らぎ、性を楽しむことができるようになってきました」
◆苦痛を脳内で変換しなければ「精神がもたなかった」
自己否定感の強かった20歳までの自分から脱皮し、性を愉しめるまでになった桃瀬氏。しかし回復までの道のりはまだ遠いのだと話す。
「辛いこと、痛いこと、嫌なことを『気持ちいい』と脳内で変換しなければ、たぶん私は生きてこられなかったのだと思います。苦痛を苦痛だとそのまま認めたら、精神がもたなかったでしょう。だからどこかで、今でも『悲惨な目に遭っている自分』の方が落ち着くというのはあります。これまで交際してきた人からもDVを受けたり、ぞんざいに扱われたり。でもどこか、それが自分の平熱になってしまう。
そんな状況を受け入れていては、幸せになれないですよね。それはもうやめようと思っています。これからは、似た境遇の人たちのために自分をさらけ出して語り、どうすれば自分の人生を生きられるのかを一緒に考えたいと思っているんです。そのため現在は、虐待サバイバーの人たちが集うNPO法人にも出入りして勉強をさせてもらうなど、活動の場を広げています」
自我を持つことさえ許されなかった境遇から抜け出し、桃瀬氏は自らの人生を手繰り寄せようとしている。その基軸になったのは、間違いなく性へのエネルギーだ。
「まともな人たち」からは眉をひそめられ、後ろ指をさされることでしか、心の穴を埋められない。行儀のいい人生からかけ離れた、侮蔑の対象となる選択の連続。しかし社会で不道徳とされる価値観や振る舞いが、寄る辺ない人々の心を救うことはある。教科書的な善悪では語れない、悩んでもがき抜いた人間にしか見えてこない拠り所が、この世界のどこかにきっとある。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki