ロックは英語で歌うべき?内田裕也vsはっぴいえんど「日本語ロック論争」が音楽史を変えた
ロックは英語で歌うべき?内田裕也vsはっぴいえんど「日本語ロック論争」が音楽史を変えた
1: 湛然 ★ 2024/04/07(日) 15:54:58.15 ID:HZDj3XOp9ロックは英語で歌うべき?内田裕也vsはっぴいえんど「日本語ロック論争」が音楽史を変えた
4/6(土) 19:02 平野 悠(ダイヤモンド・オンライン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/24cbcd4de05e4787eb161c6e034e5c0cfe28b22f伝説のライブハウス・新宿ロフトの創設者である平野悠と、山下達郎や大貫妙子、フリッパーズ・ギターなどを世に送り出した音楽プロデューサーの牧村憲一が対談。旧知の仲である2人が「ロフト」が生まれた頃の音楽業界を総括する。本稿は、平野悠『1976年の新宿ロフト』(星海社)の一部を抜粋・編集したものです。
● ロフトの第1号店が生まれた 1971年はフォーク全盛期(※中略)
● 日本のフォークの伏線として 重要なのがグループ・サウンズ(※中略)
● “日本語ロック論争”の構図は 内田裕也VSはっぴいえんど
平野 アンチ芸能界というのが大きなポイントだったわけだ。
牧村 そうなんです。ただし、エイプリル・フールの後に3人が結成したヴァレンタイン・ブルーはすぐに頓挫してしまいます。1969年の暮れに渋谷東横劇場で初演が行なわれた『ヘアー』というロック・ミュージカルに小坂忠が出演することが決まってしまって。
しかし『ヘアー』のプロデューサーだった川添象郎(当時は川添象多郎)や主役の一人を務めた加橋かつみらが大麻取締法違反容疑で逮捕される事件が起きてしまった。そこで細野と松本は大滝詠一を誘った。その後、「リードギターがいないね」という話になり、高校生の鈴木茂に大学進学を諦めさせてバンドに呼び込んだ。と、メンバーが語っています。
平野 その頃の大滝さんは鳴かず飛ばずでしょ?
牧村 もちろん。当時の細野さんと松本さんはハコバンをやっていて、一晩に3回くらい演奏すると5万円ほどの月収があったそうです。1970年当時の大卒初任給がおよそ4万円弱(現代の価値に換算すると14万円強)なのでかなり良い収入だったけど、大滝さんは岩手から出てきて、東京で就職したんです。
その後、早稲田の第二文学部に進むんだけど、音楽への道が諦められず、いろんな音楽家たちとの交流の中で細野さんや松本さんと知り合い、ヴァレンタイン・ブルーへ参加しました。はっぴいえんどになったとき、今でいうインディーズというか、芸能界の影はなくなっていたんですが。
平野 GSの流行から始まって、はっぴいえんどが出てくるちゃんとした理由があったんだね。
牧村 はい。そして、1970年8月に通称・ゆでめんと呼ばれるファースト・アルバム『はっぴいえんど』、1971年11月にセカンド・アルバム『風街ろまん』という名盤が発表されるのですが、ちょうどその頃、日本語ロック論争というものが巻き起こるんです。中村とうようさんが編集長だった『ニューミュージック・マガジン』(現・『ミュージック・マガジン』)で繰り広げられた、内田裕也、大滝詠一、松本隆らによる「日本語はロックのメロディに乗らない」「ロックも、自分たちの言語でやらなければ意味がない」という論争です。
その前年に『ニューミュージック・マガジン』で日本のロック賞の上位にランクされたのが、主にはっぴいえんどを始めとする日本語で歌うアーティストだったんですね。それで、英語でロックをやるべきと主張する内田裕也が「なんではっぴいえんどみたいにヘタなグループが1位になれるんだ!? こんなレコードのどこが良いんだ?」と噛み付いた。
平野 裕也さんも元はナベプロ所属(現・ワタナベエンターテインメント)で、つまり芸能寄りだった。
牧村 そう、GSブームを牽引したタイガースをスカウトしたのも裕也さんだったし、ここでもやはり芸能と脱芸能という対比構造に繋がるわけです。裕也さんにしてみれば、ジョー山中や麻生レミといった実力派シンガーを揃えたフラワー・トラヴェリン・バンドというバンドをプロデュースして、ロックの世界へ打って出るというときに、日本語のロックが評価されるなんて! という思いもあったんでしょうけど。
でもその論争があって日本語によるオリジナルのロックを体現するバンドとして、はっぴいえんどが後に影響を与えるグループになったのは確かですね。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
ネットの反応
下手くそな発音で歌うのほんと格好悪い
麻生レミが参加したのはフラワー・トラヴェリン・バンドじゃなくて前身のザ・フラワーズだろ
しれっと嘘つくなよ
これって
GS(英バンドコピーは英語歌詞、オリジナルは日本語歌詞)
→オリジナルが日本語歌詞の日本のロックバンドが出てくる
に、内田裕也がロックバンドは英語歌詞でオリジナル歌えって絡んできただけで、論争にすらなってないやつでしょ
ボンジョビがやってるじゃないか。
水戸黄門のテーマとそう変わらんもんなIt’s my life
やっぱり歌謡ロックが合ってるわ
はっぴいえんどではありません
はっぴいえんどはフォークです
ありもしない偽史を語らないでください
お前がフォークって思い込みたいだけで評論家含めた大半の人ははっぴいえんどをロックに分類してるから
ジョニー大倉の作詞家としての
発明って阿久悠だの松本隆だの
相手にならんくらい劇的や思うで
ほんとこれ
ジョニー大倉の作詞はロカビリーブームの頃のダイアナやルイジアナ・ママの日本語歌詞と同じ
そもそもキャロルは詞曲ファッション全てがロカビリーブームの焼き増しで
ぎんざナウのレギュラーで人気がでたバンド
全然違うわwそんな卑小なケースではない
元々キャロルは全部英語の歌詞でデビューする予定でレコーディングも済ませてた
ところが土壇場になって売れ行きが不安になり、
急遽無難に日本語歌詞で再レコーディングしたが、
それでは英語バージョンのようなグルーヴ感が出ないから、
日本語歌詞の「いつでもお前を」という箇所を、
「イッツ(it’s)デイ(day)モー」みたいな発音でジョニーが矢沢に歌わせた
まさに革命的
日本語歌詞を英語風発音で歌った元祖はディックミネです
散々英語で言った後に、
♪イッキな看守のはからいでぇ~
って歌い始めてズッこけたって、ビートたけしが言ってたなw
長渕のコピペみたいだな…
監獄ロックを英語で歌わずに
日本語で歌った有名な実話
タモリとたけしと
裕也で歌ったTBSの特番で
1981くらい
内田裕也だと、ロールオーバーベートーベンの出だしでは「ロックだギターだ♪カッコイイんだ♪」だったかな
日本語よりダサいからなw
それでも日本語ラップはダサいと思うけど
このあたりも後世になれば再評価され得るのだろうか
スチャダラパーが日本語ラップの完成形
治安の良い日本にビタッとはまる言葉遊びで素晴らしい
スチャダラくらいユルいのが日本語ラップにはちょうど良いよな
金持ちのボンボンのくせに「ストリート」とか悪自慢言っちゃったりするのがダサ過ぎる
おらこんな村嫌だ
だから声楽の世界では人気がない。
君は僕より年上とまわりの人は言うけれど
なんてったって構わない
僕は君に首ったけ
死んでも君をはなさない
地獄の底までついていく. Oh, please stay by me, Diana
日本語+英語が正解
キャロルはは二代目
当時は日本語だとロックのリズムにのらねーと偉そうにいってたけど上田正樹ぐらいから日本語でも洋楽のメロディーにのせられるというのを証明してしまった
松たか子にしても完璧な日本語でディズニー歌ったしそもそも世界は日本語とか英語とか気にしてない
内田裕也が下手糞だったから勝手にそう思い込んでただけだった
松たか子のは完璧とはなぁ
松たか子の歌というよりも
歌詞の方がやはりリズムに乗れてないと思う
高評価はゴリ押しの力だろ
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1712472898/