仮装大賞3年ぶり復活で欽ちゃんファミリー9人の今!斉藤清六は俳優、倉沢淳美は昨年娘がデビュー、小西博之は日本航空高等学校校長に
仮装大賞3年ぶり復活で欽ちゃんファミリー9人の今!斉藤清六は俳優、倉沢淳美は昨年娘がデビュー、小西博之は日本航空高等学校校長に
1: 朝一から閉店までφ ★ 2024/02/12(月) 12:55:48.76 ID:mY724SkO9記事投稿日:2024/02/12 11:00 最終更新日:2024/02/12 11:00『女性自身』編集部
昨年の『第74回NHK紅白歌合戦』では、ポケットビスケッツ(千秋、内村光良、ウド鈴木)とブラックビスケッツ(ビビアン・スー、南原清隆、天野ひろゆき)が復活し、大きな話題を呼んだ。2組は『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(1996年~2002年放送/日本テレビ系)から生まれたユニットで、共に100万枚を超えるヒット曲を送り出した。
“バラエティ番組発のユニットを売り出す”という手法を編み出したのは、欽ちゃんこと萩本欽一(82)だった。1981年、企画・構成・演出も務める『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)ではフツオ(長江健次・59)、ヨシオ(山口良一・68)、ワルオ(西山浩司・63)の3人でイモ欽トリオを結成し、作詞・松本隆、作曲・細野晴臣の『ハイスクールララバイ』を発売した。
同曲は104万枚を売り上げ、当時の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)では8週連続1位を獲得。最高視聴率41.9%の1981年9月17日にも1位に輝いた。番組の最後に登場する1位について、山口はこんな感想を抱いていた。
《僕たちはいろんなアイドルを間近で見たいんですよ。だから、いつも楽屋でモニターを見ていて『つまんないね』て言っていました(笑)》(2020年3月27日配信/テレ朝POST ※原文ママ)
3人は一昨年、イモ欽トリオとして全国ツアーを開催。現在、長江はスペシャルユニット『長江健次とカラフルパレット』で3月にシングル発売を控え、西山は3月にライブ開催予定と音楽活動に力を入れている。山口は劇団東京ヴォードヴィルショーに所属し、『噂の!東京マガジン』(BS-TBS)にも出演中だ。
イモ欽トリオが芸能界を席巻していた頃、斉藤清六(75)の音痴ぶりも話題になっていた。『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)で“たよりないアナウンサー”を演じていた彼は、1982年8月にLP『なんなんなんだ!?』をリリース。作曲家・宮川泰の自宅を訪れてレッスンを受ける様子も収録され、清六は《歌に対する哲学は持ってます》と語っていた。
《僕が歌を誰に捧げるかって、よく大衆から聞かれることがある。でも、すぐ答える僕って好きになれない。でも、歌を愛する人間なら説明はいらないと思う》(1982年8月発売/LP『なんなんなんだ!?』)
近年、2時間ドラマなど俳優業中心の清六だが、昨年5月にはバラエティ番組『天然素材NHK』に出演。カラオケで近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』を披露し、40年前と変わらぬ音程の整わない歌声で視聴者を困惑させた。
清六が「村の~時間の~時間です」「バイナラ、ラナイバ」などのフレーズで人気を博していた『欽どこ』からは、わらべ(高部知子・56、倉沢淳美・56、高橋真美・56)が1982年12月に『めだかの兄妹』でデビューし、88.5万枚を売り上げた。
高部はスキャンダルに見舞われて脱退したが、1983年12月発売の『もしも明日が…。』は96万枚を超え、1984年のオリコン年間シングルチャート1位を獲得。チェッカーズや中森明菜を抑えての快挙だった。音楽番組に出演する際、高橋は萩本からこんな言葉をもらったという。
《『歌のプロの人たちの邪魔にならないように』と言われていました。 私たちは歌手ではないので、『歌はいいから、それよりトークで頑張りなさい』と言われていました。それで、何度も何度もトークの練習をさせられました。『嬉しい』や『楽しい』といった、単純な返答は許されませんでした》(2023年12月17日配信/Smart FLASH)
高橋は現在もタレントとして活躍中。倉沢は1995年にオーストラリア人と結婚し、2011年からはドバイに移住。娘のケイナ(25)は2021年にカナダのトロント大学を卒業。以前も単発でテレビ出演していたが、昨年から日本の芸能界で本格的に活動を開始した。
高部は1993年12月29日放送の『欽ちゃんのどこまでやるの!スペシャル』で番組に手紙を寄せ、電話出演。「見栄晴兄ちゃん、ダメだよ、競馬ばかりやっちゃ」などと話した。現在は精神保健福祉士、公認心理師として働いている。
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2292487/次ページ >小西は主治医から「脾臓が破裂し、即死するかもしれない」と
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2292487/2/
ネットの反応
カラオケで近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』を披露し、40年前と変わらぬ音程の整わない歌声で視聴者を困惑させた。
斉藤清六ww
割と不幸なひとが多いイメージ
また見たいとは全くならない欽ファミ
凄いね
あの被災したところか?
ちなみにJALとは無関係らしい提携はあるらしいけど
通信制の校長だって
航空学校の通信ってなんだろ・・・?
病気で痩せてる姿以来だけど
全快したのかな
航空?なぜに?
当時の日本航空高校校長の大学の後輩という縁で呼ばれて
命に関する事を話したら理事長が内容に感動して校長オファー
だったかな
あの高校は色々と問題があってだな。。w
そんな理由でしかも高校の校長っていいのか
滅茶苦茶責任重い教育してそうなのに
コニタンは堅気になったんやな
スペースペンドラゴン(宇宙輸送船)の元パイロット
あと奥さん役だった真屋順子も病気で大変なことになっちゃったし
やっぱり昔のテレビ番組の影響力ってすごかったんだな
それが今じゃ・・・
あと小柳さんだっけ?女の人
とんねるずが現れるまでは、ビートたけしが大好きだった
普通のファミリー、志村ファミリー
悪いファミリー、松本ファミリー
その後も時々ドラマに出てるみたいね
特に親切くんのコント
この三曲だけでも並の音楽プロデューサーを凌駕できるぞ欽ちゃん
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1707710148/